カテゴリー「呟き尾形の哲学手記」の19件の記事

民主主義について 後編

こんにちわ。呟き尾形です。

※この記事は、白い時計塔のある村呟き尾形の哲学手記の記事にも掲載されています。

民主主義について 後編
  民主主義とは、少数の意見であるから無視するのではなく、少数の意見を
皆で吟味して議論をして、皆にとってより正当で、より良い方法を見つけ出す
考え方なんだよね。
 決して選挙と多数決があるから民主主義ってわけじゃない。

 でもね、
 現代日本における教育において、民主主義とは多数決であるという教わ
り方をしてるんだよね。実際。
 違うんだよね。
 1000人の中の999人が同じ意見だって、1人の意見が正しい意見
(説得力のある意見)なら本当は、それを採用することができるのが民主
主義なんだよね。
 もちろん、それは理想であり、理念だし、現実の日本は衆愚制に限りな
く近い状態。
 ちゅうか、もう衆愚ってやつ?
 実質、衆愚だといってもいいだろう。そんな現実の中、それでも、日本
は民主主義の国だ! と言う人が大多数。
 大勢の人の意見は必ずしも正しいということではないのにも関わらず、
それが是認されるという現実。
 共和制から衆愚制に代わっているともいえるわけ。
 ま、私、呟き尾形の杞憂ならいいけどね。
 
 じゃぁ、なんで衆愚制が善くないかというと、まず、多数派だから正し
いという根拠で多数派の意見が採用されること、次に多数派の都合によっ
て正しい意見が無視されたり、正しい理論が捻じ曲げられるという点だ。
 どんな風に善くないかというと、多数派であることを根拠にしても、上
述している通り、大勢の人の意見は必ずしも正しいということではないの
で、そもそも正しくない判断が、公然とされてしまうという善くない点。
 次が、正しいのち無視されたり、正しい理論が曲げられちゃ、良い結果
なんかうまれるわけがなかんべぇっちゅうわけです。
 たとえば、1+1=2であることは誰が見ても正しいとは思うけど、
衆愚制は、これでは都合が悪い人が沢山いて、いやいや、1+1=1だよ。
と大多数の人が言い張ればそれがまかり通ってしまう。
 こりゃまずい。
 いうまでもないが、1+1=2であることは公理において正しい。
 きちんと理論的に話し合いができれば、10人中9人が1+1=1だと
主張したとしても、それは、そもそも間違いなんだから、1+1=2が正
しいことは説明されることで、10人は全員1+1=2だと採決するはず。
 でも、衆愚制じゃ、それはムリ。
 でも、民主主義の理念はその正反対。
 じゃぁ、どうすれば、民主主義の理念が行使できるかってなると、これ
がまた難しい。
 もちろん、難しいけれど不可能じゃぁない。
 たとえば、民主主義の本場、アメリカにおいて、民主主義の理念を突き
通すシステムがある。
 それは、陪審員制度の中の採決の採用の方法。
 複数の陪審員において、有罪、無罪を決めることにおいて、10人中9人が
有罪だと判断しても、一人が無罪であると主張すれば、採決できない。
 もちろん、採決できないから、有罪でも無罪でもない。
 全員一致でなければ、採決はできないわけ。
 もちろん、全員一致で採決するということは、全員を納得させるだけの理論
はそこに存在するということになる。

 とはいいつつも、それでは、現実的な問題を処理し続けることは不可能に近
いんだよね。
 理想は理想であり、言うはやすし、行うは難しです。

 なんにしろ、共和制は衆愚制に移り変わりやすいという問題点を抱えている
んだよね。
 あ、でも、問題は解決されるためにあるんだから、解決しようよということ
をいいたいんだよね。

 なんにしても、民主主義というのは、その解決策としての一つの方法論でも
あるんだよね。それだけに、民主主義が衆愚になるのだけは避けたい。
 そう、避けたいんだよね。

 だから、私、呟き尾形は民主主義者である。と自ら言うことで、理念を忘れ
ないように自戒するわけ。
 理念を忘れれば、なんでもかんでも形骸化するからね。

★★★呟き尾形のホームページ 白い時計塔のある村の更新情報
 さて、ここからは、ホームページ更新情報です。
http://homepage2.nifty.com/SON/index.htm
 今回は、占いが非科学的だと思う方へメールマガジン占いいが非科学的だと思う方へ第85回 一貫性のない質問を更新しました。
 次に、呟き尾形の育児手記、呟き尾形的教育論、教育と正義 5 曲解される正義を更新しました。

★★★ 呟き尾形の質問 コーナー (アバウトミーのアンケート)31

★★★ 呟き尾形のつくった占い

★★★ 任天堂でアフィリエイト

★★★ 呟き尾形のサイト リンク集
呟き尾形の雑記帳
雑多なことが書いてあるblogです。

呟き尾形の本棚
本や名言の紹介をしています。

みんなで哲学を語ろう
お気楽、ご気楽、コンビニ哲学をコンセプトにしたMLです。

呟き尾形の占いの話
いろいろ占いについて調べて記事にしているblogです。

みなオク創作ノート
みんなで贈れる本を作ろうというプロジェクトのblogです。

(有)尾形園芸のサイト
花図鑑などがあります。


呟き尾形のメールマガジンのバンクナンバーblog

呟き尾形の発行しているメールマガジンのバックナンバーを掲載しているblogです。

呟き尾形の自転
私的資料的サイトです。

言葉生花
花言葉や花のエピソードをはじめ花を紹介しているサイトです。

Sun Of Night
WRPGのサイトです。

呟き尾形の今の政治に物申す 
政治についていろいろ呟いています。

呟き尾形の花紀行 
花の性質や育て方、画像などをアップしているblogです。


呟き尾形の哲学手記
哲学をキーワードに更新しているblogです

直売花紀行
花を生産している直売所のblogです

名言の鐘
呟き尾形の名言集のバックナンバーです。

呟き堂
ホビー、ゲーム、本、DVDなどを陳列しています。


Σ( ̄□ ̄;) (?ロ?ノ)ノ (◎-◎)  (゜◇゜)~ガーン

| | コメント (0) | トラックバック (0)

民主主義につてい 前編

こんにちわ。呟き尾形です。

※この記事は、白い時計塔のある村呟き尾形の哲学手記の記事にも掲載されています。

民主主義につてい 前編
  私、呟き尾形は、民主主義者である。
 え? と思われる方が多いと思うんじゃないかな。
 日本において、民主主義じゃない人はいるのだろうか? と思われると推測
するからなんだよね。
 実際、現代において、民主主義=多数決という観念倒錯が生じているという
現実。もちろん、民主主義において、多数決。というのも一つの手段なのは認
めるけど、その手段を持って民主主義と言うのは、ヘン。
 だって、バットとボールを使っているから野球だ。なんていえないよね。
 確かに野球かもしれないけど、ソフトボールかもしれないし、単純にバッティ
ングセンターで遊んでいるだけなのかもしれない。
 野球をアレンジしたスポーツかもしれない。
 つまり、本当は手段や道具が使われているからというのは、根拠にならない。
 手段が本質じゃないってこと。

 実際、民主主義と言うのは、少数の意見であってもきっちり議論して、その正
当性を検討するはずだけど、国会を見れば火を見るより明らかだよね。形式だ
けの議論、政党の対立、結局・・・「議席数」。
 さらに、一人の議員が質問したい。と思うことも質問できなくて、たしか10人か
20人ぐらいの議員が、同じような質問をしたい。意思表示しないとできない仕組
みになっているんだよね。
 ちょっとまて、議員になっているということは、それなりの投票を受けたわけだか
ら、議員一人でもかなりの数の国民の声なんじゃないか?
 とおもわなくもないんだけど、現実はそう。まぁ、きっと、わがままを言い出す幼
稚な議員がそれだけ多いってことなんでしょうね。

 まぁ、現代においてもそんなわけ。とても民主主義なんていえないでしょ?

 で、民主主義の根本は共和制でなんだ。
 そもそも、共和制というものは、衆愚という危険性をはらんでおり、アリス
トテレスも、プラトンもその衆愚の危険性を考え、共和制については批判的な
のは、ちょっと調べればすぐ分ること。
 プラトン、アリストテレスといえば、ギリシャの哲学者だが、当時のギリシ
ャは、共和制の発祥の地といえるほど、共和制が発達したところである。
 その共和制の土地柄なのに、哲学者が共和制に対して批判的だというのは、
決して偶然ではないんだよね。
 共和制の社会において、共和制に批判的であることはあまりないんだよ。
 だって、共和制の社会において、共和制に批判的であれば、あっさり君
主制やら貴族制などに取って代わられるからね。
 そんなもので、共和制社会において、共和制こそ良い制度であるという意見
が多数であるから、共和制社会が成り立つということになる。
 問題の種はここ。
 大勢の人の意見は必ずしも正しいということではないのにも関わらず、そ
れが是認されるという現実。
 いわゆる、衆愚制になる大きな可能性が含まれているんだよね。
 プラトンや、アリストテレスが懸念しているのは、この問題点なんだよね。

 昔の話じゃ、ちょっとリアリティーがないかもしれないから、ちょっと現
代の例をだしてみよう。マスメディアというテレビの報道じゃ、世論、世論
とさわぐけれど、世論だから正しいというわけじゃない。
 実際、振り返れば、世論が正しくない結論をだしていた。なんてことは普
通にあること。
 つまり、世論は一切根拠にはならない。
 たしかに、大勢の人の意見は参考意見にはなるけれど、それは議論ない
し、話し合いがされた結果によるものではなく、個人がどのように感じるか
という主観をアンケートとして集計したにすぎないという事実を踏まえない
と、衆愚制になるわけ。

 じゃぁ、民主主義って何よ。という話になるよね。

 ちょっと長くなったので、それは、次回というこで。

 
★★★
 ここからは、ホームページ更新情報です。
http://homepage2.nifty.com/SON/index.htm
 呟き尾形の色の心理学 第72回 五行説と色を更新しました。

★★★

★★★



呟き尾形の雑記帳
雑多なことが書いてあるblogです。

呟き尾形の本棚
本や名言の紹介をしています。

みんなで哲学を語ろう
お気楽、ご気楽、コンビニ哲学をコンセプトにしたMLです。

呟き尾形の占いの話
いろいろ占いについて調べて記事にしているblogです。

みなオク創作ノート
みんなで贈れる本を作ろうというプロジェクトのblogです。

(有)尾形園芸のサイト
花図鑑などがあります。


呟き尾形のメールマガジンのバンクナンバーblog

呟き尾形の発行しているメールマガジンのバックナンバーを掲載しているblogです。

呟き尾形の自転
私的資料的サイトです。


日刊メールマガジン 心に響く名言集

メールマガジンとblogが合体した名言の紹介をしているサイトです。

言葉生花
花言葉や花のエピソードをはじめ花を紹介しているサイトです。

Sun Of Night
WRPGのサイトです。

呟き尾形の今の政治に物申す 
政治についていろいろ呟いています。

呟き尾形の花紀行 
花の性質や育て方などについていろいろ書くblogです。


呟き尾形の哲学手記
哲学をキーワードに更新しているblogです

直売花紀行
花を生産している直売所のblogです


Σ( ̄□ ̄;) (?ロ?ノ)ノ (◎-◎)  (゜◇゜)~ガーン

| | コメント (0) | トラックバック (0)

哲学の魅力(呟き尾形の哲学手記)

こんにちわ。呟き尾形です。

※この記事は、白い時計塔のある村呟き尾形の哲学手記の記事にも掲載されています。


哲学の魅力
  哲学の魅力について考えてみた。
 いやね、哲学って敬遠される傾向にあるし、なにが哲学だよと鼻で笑われる
こともある。逆に哲学はものすごく高尚で自分の手には負えないとも思えてし
まう。
 けど、共通しているのは、哲学と聞くとなぜか耳を傾けたくなるってこと。
 それはなぜか、それは自分の考えであると同時に他人の考えである、つま
り、お互いを理解しあいたいという人間としての根本的な欲望のせいだと思う
わけ。

 じゃぁ、哲学って何? といわれると、まず、哲学とは問う学問であると答
えたくなる。
 これに異論を唱える人は少ない。
 哲学史に名を残すような哲学者は、みんな、当時の常識を問いただしたから
ね。
 で、デカルトあたりは、方法的懐疑といって、哲学の方法として、懐疑を持
ち出した。
 懐疑。とどのつまりは、疑うこと。本当は、鵜呑みにするなよ。という意味
なんだろうけれど、言葉からは、疑心暗鬼を連想させる。
 鵜呑みにせずに疑うことというと、どういうことかといえば、自問自答のこ
と。
 疑うというのは、言葉通りに信じられないことだからね。
 それが疑心暗鬼ともとれるし、自問自答ともとれる。ここはややこしいとこ
ろ。
 で、一般的に、「当然」とか「前提」とか「常識」と受け入れられるもの
は、言葉通りに信じられるからこそ、「当然」とか「前提」とか「常識」とな
りうるわけで、それをあえて疑う。という行為は、単純な疑心暗鬼の状態。
 まぁ、とりあえず疑う。という手順をもって、その根拠を問いただして、根
拠のないモノは、疑えるものとしてばっさり切り捨てる。
 それがデカルトのいう懐疑。
 だから、懐疑という日本語よりも自問自答の方が適切だと思うんだよね。
 つまり、自問自答と疑心暗鬼はまったく違うってこと。
 疑心暗鬼というは、疑うだけ疑ってさらなる疑いを生み出すこと。
 自問自答というのは、「分らないことを自分で質問しておいて、自分で答え
る」という意味。
 なぜ、「当然」とか「前提」とか「常識」が「当然」とか「前提」とか「常
識」たりえるのか、自問自答する。

 だから、哲学において疑う。というのは、自分で問いっぱなしな訳ではな
く、その答えを自分で出すってこと。
 繰り返すけれど、疑心暗鬼は、闇雲に疑うだけ。
 この差は大きい。
 もちろん、自問自答した結果、わからない。という答えだってOK。
 わからないから勉強するし、わからないなりにわかることだって沢山ある。
 わからないところがわかるだけでも、ものすごい進歩だしね。

 それが、哲学の面白いところ。
 それが、哲学の魅力。
 たぶん、それが、哲学。

 私、呟き尾形はそんな哲学を共有してみたい。と常々思うわけです。

 なんたって、自分で考える醍醐味がある。
 その考えを他人に説明する醍醐味がある。
 他人の哲学を知る醍醐味がある。

 十人十色というけれど、自分の色を知りつつも他人の色を知ることができる
と視野が信じられないほど広がる。視野が広がると楽しみ方、満足の仕方が広
がる。すると、幸せになりやすい。
 相反する意見を持っている人の意見、まったく関係ないような意見を持って
いる人の意見。これを知り、認める。
 まぁ、無理やりルールを決めてこれでやろう。という古い考えもあるし、
それはそれで合理的だと思うし、なにか具体的なことを一緒に達成しようと
するなら、むしろその方がとても良い。
 でも、もそっとグローバルな視野ってやつを持つと、別にルールに縛られる
必要もなくなり、自問自答の幅がググッと広がる。
 自問自答の幅が広がると、沢山哲学ができる。
 沢山哲学ができるということは、、哲学の魅力を沢山味わえるわけなんだよ
ね。

 だから、哲学と聞くとなぜか耳を傾けたくなる。
 それは自分の考えであると同時に他人の考えでだから。つまり、お互いを理
解しあいたいという人間としての根本的な欲望があって、それができるひとつ
の方法が哲学の魅力だと思う。

★★★


呟き尾形の雑記帳
雑多なことが書いてあるblogです。

呟き尾形の本棚
本や名言の紹介をしています。

みんなで哲学を語ろう
お気楽、ご気楽、コンビニ哲学をコンセプトにしたMLです。

呟き尾形の占いの話
いろいろ占いについて調べて記事にしているblogです。

みなオク創作ノート
みんなで贈れる本を作ろうというプロジェクトのblogです。

(有)尾形園芸のサイト
花図鑑などがあります。


呟き尾形のメールマガジンのバンクナンバーblog

呟き尾形の発行しているメールマガジンのバックナンバーを掲載しているblogです。

呟き尾形の自転
私的資料的サイトです。


日刊メールマガジン 心に響く名言集

メールマガジンとblogが合体した名言の紹介をしているサイトです。

言葉生花
花言葉や花のエピソードをはじめ花を紹介しているサイトです。

Sun Of Night
WRPGのサイトです。

呟き尾形の今の政治に物申す 
政治についていろいろ呟いています。

呟き尾形の花紀行 
花の性質や育て方などについていろいろ書くblogです。


呟き尾形の哲学手記
哲学をキーワードに更新しているblogです

直売花紀行
花を生産している直売所のblogです


Σ( ̄□ ̄;) (?ロ?ノ)ノ (◎-◎)  (゜◇゜)~ガーン

 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

数学の前提(呟き尾形の哲学手記)

こんにちわ。呟き尾形です。

※この記事は、白い時計塔のある村呟き尾形の哲学手記の記事にも掲載されています。

数学の前提
  私、呟き尾形がふと思うことは、案外、人って、妄信というか、大前提にし
なくちゃいけない部分がある。
 現象学ならエポケー、宗教なら神様、心理学なら心理学のモデルあるいは用
語。西洋占星術なら天動説、数学なら数。
 数を疑う? できるんだろうか?
 疑うことはそれほど難しくは無い。なにせ、数なんてだれも色も形も知らな
い。さわったことがある人なんていない。
 だから、試すことはできない。
 ゆえに、数というのは、疑いだすと、きりが無い。

 もちろん、本気で疑う人なんていないけど、実際、とある人にそれを言った
らおこらちゃった経験をもっているんだよね。
 たとえば、実際、リンゴが一つあって、みかんが一つあって、1+1は2だ
けど、2このリンゴなわけないし、みかんが2こなわけがない。果物が2こと
言えば良さそうだけど、ここがものすごいわからないところがあって、
1=1。ということはリンゴ1こ=みかん1こ?
 見た目にわかるよ。でも、数えると2。
 たしかに。でも、重さも形もちがうのに、同じ1にしてよいのだろうか?
 それが通用するなら1リットル+1CCは2になってしまう。
 もちろん、リンゴ1個とみかん1個は見た目は2だけど、リンゴ2固になる
わけじゃないから、単純にたせるわけじゃない。1+1=1+1にすぎない。
 1リットル+1CCだって、単純に単位さえあわせましょう。というルール
を作ればいいというより、もうできている。

 なんにしても、数学は公理があるから大丈夫。
 でも、よくよく考えてみると、その公理の根拠ってぜんぜんない。
 もう、公理を疑ったらはじまらないから、公理だから正しい。としかいえな
いわけ。

 これは、理科の教師から「君たちは1+1=2である理由を理解していな
い」
 と問われ、授業を終わってから、いろいろ自分なりの回答をその教師にした
ことがあったんだけど、返答は、
「じゃぁ、粘土が1こ。もう一つの粘土が一つ、それをあわせたら?
 リンゴを半分きったのを1ことして、もう半分のリンゴ1こ。半分同士のリ
ンゴをあわせたら?」
 という反問。
 今でも悩んでいることだけど、いまやっても、どちらも1+1=1。
 たとえば、リンゴをかたちどった粘土とみかんをかたちどった粘土。
 気に入らないから、スイカをかたちどったのを粘土でつくろう。
 あ、粘土がたりないや。じゃぁ、リンゴとみかんの粘土をあわせてリンゴを
つくちゃえ。
 ありゃ、すいかが1こだけだ。
 
 リンゴ1こ+みかん1こ=スイカ1こ
 
 まぁ、我ながら馬鹿馬鹿しいとはおもう。
 んなもん、粘土の重さではかればいい。
 あれ重さ? 見えない・・・。触っても重さは数えられない・・・。どう
やって対応させよう・・・。
 どうしよう・・・。

 もちろん、数学にいちゃもんつけるつもりはないし、疑うつもりはない。
 ただ、この疑問をどうやって自分なりにいろいろかんがえている。ってこ
と。

 こうして、自答自問することで、数学の使い方をもっとかんがえようという
こと。
 それが哲学のような気がするんだよね。

 


ヾ(@^▽^@)ノ (☆o☆)キラキラ 。(*^ε^*)oにんまりぃ♪
白い時計塔のある村の伝言板
ご意見がありましたらどうぞ。

白い時計塔のある村
呟き尾形のメインのサイトです。

呟き尾形の雑記帳
雑多なことが書いてあるblogです。

呟き尾形の本棚
本や名言の紹介をしています。

みんなで哲学を語ろう
お気楽、ご気楽、コンビニ哲学をコンセプトにしたMLです。

呟き尾形の占いの話
いろいろ占いについて調べて記事にしているblogです。

みなオク創作ノート
みんなで贈れる本を作ろうというプロジェクトのblogです。

(有)尾形園芸のサイト
花図鑑などがあります。


呟き尾形のメールマガジンのバンクナンバーblog

呟き尾形の発行しているメールマガジンのバックナンバーを掲載しているblogです。

呟き尾形の自転
私的資料的サイトです。


日刊メールマガジン 心に響く名言集

メールマガジンとblogが合体した名言の紹介をしているサイトです。

言葉生花
花言葉や花のエピソードをはじめ花を紹介しているサイトです。

Sun Of Night
WRPGのサイトです。

呟き尾形の今の政治に物申す 
政治についていろいろ呟いています。

呟き尾形の花紀行 
花の性質や育て方などについていろいろ書くblogです。

Σ( ̄□ ̄;) (?ロ?ノ)ノ (◎-◎)  (゜◇゜)~ガーン


| | コメント (0) | トラックバック (0)

可能性という詭弁(呟き尾形の哲学手記)

こんにちわ。呟き尾形です。

※この記事は、白い時計塔のある村呟き尾形の哲学手記の記事にも掲載されています。

可能性という詭弁

 今回は、だいぶ前にあった、ある事件を例にして見たいとおもう。
 タイムリーな話題ではないのには、理由がある。
 タイムリーな話題は、ある種の熱がある。この熱がある話題には、多くの
デマが含まれるし、なかなか冷静になれないものだ。
 本人が、冷静なつもりであっても、案外周りが熱いからそれと比べれば、
冷静なだけ。ということは良くあることである。

 なので、現代日本社会がいかに情報が飽和状態かを風刺して、もう、みな
さんが忘れているであろう、話題、トリインフルエンザを題材にしたいと思
う。

 トリインフルエンザについての報道で、卵や鶏糞を通してインフルエンザ
ウィルスが感染するかどうかという疑問について、パーソナリティーが「そう
ですよね。可能性は否定できない」といったコメントを付け加えた。
 当然、養鶏業者の人がクレームを入れてきた。
「あたかも、卵や鶏糞で感染するような言い方をしないでくれ! こっちは、
死活問題で毎日ビクビクしているんだ」こんな内容。
 そこで、パーソナリティーは謝罪して「そんなつもりはなかった。ただ、ま
だ調査中で、わかっていないし、可能性は否定できないということを言った」
 そんな弁明をしていた。
 まぁ、パーソナリティーの真意はわからないし、なにより、自分の発言に
対して非を認め謝罪をしたのだからその点は、むしろ、パーソナリティーは
えらいと思う。
 が、今回は可能性という詭弁というタイトルにあるように、可能性という
単語を、自分の言いたいことのために、詭弁をろうした一例だ。
 どこが? とおもわれるだろう。
 ここで、ちょっと考えて欲しい。

 可能性は否定できない。という表現は、”可能性はある”というニュアン
スが強くなる。
 なにせ、”可能性はない”とはいえない。ということは”ありえる”とい
うことだからである。
 ”ありえる”というのは、根拠が無くとも、不思議と”事実である”とい
う印象につながっていき、いつしか、”可能性が高い”と、可能性が低い
ことですら、無根拠に可能性が高くなっていく。
 これを”可能性の自己増殖”と名づけてみる。
 可能性というものは、あくまで”ありえる”ことと”ありえない”ことが
同居する言い方であるのだが、言われた方は、”ありえない”といえないな
ら、”ありえる”ことだけの意味を汲み取ることが多い。
 そして、その可能性に数字をいれないと、可能性の自己増殖が始まり、
その効果がなおさら強くなる。
 なぜなら、可能性が数値化されていないから、客観性が失われ、主観は
信じられるものから、信じたい方向に思い込みが進むのだ。
 ”可能性の自己増殖”これが、可能性という詭弁の仕組みである。

 また、未来のことが確実にわからないことを知っている私達は、それが
”絶対にない”ということがいえないことを知っている。
 だからこそ、たしかに、可能性は否定できないのだ。

 ただ、問題は、その可能性ってのはどこから導き出した可能性なのか。
 根拠もなく、”絶対にありえないとはいえない”から、ありえると思った
だけの根拠による、可能性なのであれば、当てにならない。
 出鱈目の言いがかりと言っていいくらいだろう。

 可能性は可能性であって、高い可能性であっても、起きないこともある。
 逆に、限りなくありえないといわれていることは、これまでいくらでも
あった。

 実際、卵からウィルスは確認されていないそうだ(2004年6月6日現在
の呟き尾形の認識)。確認中ってことかな。
 また、感染した鶏の鶏糞については、たしかに低温ならば数日ウィルスはい
る可能性はあるそうだ。
 つまり、商品化されている鶏糞については、発酵させるだけの加工をした鶏
糞なのだからウィルスがいるというのは大変考えにくい。
 絶対無いとはいわないけれど、むしろ、それは無いだろう。という可能性の
方が信憑性は高く思える。
 まぁ、トリインフルエンザウィルスと共存している野鳥がいるらしく、それ
が感染経路であろうという仮説は立てられているそうだ。
 だが、本当のところはわからない。
 そして、ウィルスというものは常に変化し続けている。
 だから、絶対ありえないとはいえなくなる。
 だけど、同時に、絶対あるともいえない。
 でも、だ~れも絶対あるともいえないという可能性は強調しない。
 ちょっと不遜で不謹慎かもしれないけれど、面白いよね。
 この現象。

 もちろん、絶対、ない。とはいえないが、可能性を示唆できるほどの根拠が
ない。それでも、可能性は否定できない。
 まぁ、警戒するにこしたことはないけれどあくまで警戒。警戒するってこと
は、対象に対してよく知らなければ、効果的な対策はとれない。
 対象も知りもせず闇雲に警戒するのは疑心暗鬼だ。疑心暗鬼になっては三者
凡退の3アウトチェンジ。
 つ・ま・り、逆効果ってわけ。
 結局、根拠は「絶対にないとは言い切れない」を根拠にした妄想ってことに
なる。
 そんな数値にすらできない、詭弁ともいえる可能性の自己増殖を重んじる必
要があるのだろうか?

 可能性を示されたとき、それが数値化される必要性があるのではないだろうか?

 


ヾ(@^▽^@)ノ (☆o☆)キラキラ 。(*^ε^*)oにんまりぃ♪
白い時計塔のある村の伝言板
ご意見がありましたらどうぞ。

白い時計塔のある村
呟き尾形のメインのサイトです。

呟き尾形の雑記帳
雑多なことが書いてあるblogです。

呟き尾形の本棚
本や名言の紹介をしています。

みんなで哲学を語ろう
お気楽、ご気楽、コンビニ哲学をコンセプトにしたMLです。

呟き尾形の占いの話
いろいろ占いについて調べて記事にしているblogです。

みなオク創作ノート
みんなで贈れる本を作ろうというプロジェクトのblogです。

(有)尾形園芸のサイト
花図鑑などがあります。


呟き尾形のメールマガジンのバンクナンバーblog

呟き尾形の発行しているメールマガジンのバックナンバーを掲載しているblogです。

呟き尾形の自転
私的資料的サイトです。


日刊メールマガジン 心に響く名言集

メールマガジンとblogが合体した名言の紹介をしているサイトです。

言葉生花
花言葉や花のエピソードをはじめ花を紹介しているサイトです。

Sun Of Night
WRPGのサイトです。

呟き尾形の今の政治に物申す 
政治についていろいろ呟いています。

呟き尾形の花紀行 
花の性質や育て方などについていろいろ書くblogです。

Σ( ̄□ ̄;) (?ロ?ノ)ノ (◎-◎)  (゜◇゜)~ガーン


| | コメント (0) | トラックバック (0)

大きな物語について(呟き尾形の哲学手記)

こんにちわ。呟き尾形です。

※この記事は、白い時計塔のある村呟き尾形の哲学手記の記事にも掲載されています。

 大きな物語について

 大きな物語。これはどうも、ある大きな集団を組織という単位をし、それを構成する構成員を組織と言う大きな枠組みを纏め上げるためのシステムの比喩といってよさそうだ。
 まぁ、組織の中での共有している理想だといえるだろう。

 国家においては、イデオロギー。
 思想においては、理念。
 経済においては、労働。
 こんなところなんだろうね。

 で、この大きな物語。
 欠点はあるけど、大いに有効だと思っている。
 だって、イデオロギーにしろ、理念にしろ、労働にしろ、こうしたものを共有できるって社会が一つにまとまる事を意味するわけだから、それは、いろいろと都合のいい事があるわけ。

 とはいいつつも、みんな、ちがってあたりまえの、自分勝手な個人主義が信奉されるご時勢。
 その大きな物語は崩壊しているんだよね。

 大きな物語が死んだとか、なくなったとか言われているけれど、それは、大きな物語という風船に個人の欲望という空気を入れすぎてパン
と破裂しただけの話。
 それだけをみれば、確かに大きな物語って死んだともいえるし、なくなっ
たともいえる。
 それは認める。

 でもね、それでも私たちは大きな物語ってやつを求めて、欲望をつめたがるんだよね。
 ま、それが人間としての欲望って言ってしまえばそれまでなんだけどね。

 だから、私、呟き尾形が描いている青写真は至極単純。
 この地球をでっかい風船にして、個々の風船をその中で飛ばそうよってこと。
 そのときは、「君は紙風船だから風船じゃないよ」とか、「君の風船小さいね」とかというのは、恥ずかしい言動だ。という価値観に持って生きたいんだよね。

 そういうのを今から作ろうぜ! というのが私、呟き尾形の理念ってことになるのかな。


ヾ(@^▽^@)ノ (☆o☆)キラキラ 。(*^ε^*)oにんまりぃ♪
白い時計塔のある村の伝言板
ご意見がありましたらどうぞ。

白い時計塔のある村
呟き尾形のメインのサイトです。

呟き尾形の雑記帳
雑多なことが書いてあるblogです。

呟き尾形の本棚
本や名言の紹介をしています。

みんなで哲学を語ろう
お気楽、ご気楽、コンビニ哲学をコンセプトにしたMLです。

呟き尾形の占いの話
いろいろ占いについて調べて記事にしているblogです。

みなオク創作ノート
みんなで贈れる本を作ろうというプロジェクトのblogです。

(有)尾形園芸のサイト
花図鑑などがあります。


呟き尾形のメールマガジンのバンクナンバーblog

呟き尾形の発行しているメールマガジンのバックナンバーを掲載しているblogです。

呟き尾形の自転
私的資料的サイトです。


日刊メールマガジン 心に響く名言集

メールマガジンとblogが合体した名言の紹介をしているサイトです。

言葉生花
花言葉や花のエピソードをはじめ花を紹介しているサイトです。

Sun Of Night
WRPGのサイトです。

呟き尾形の今の政治に物申す 
政治についていろいろ呟いています。

呟き尾形の花紀行 
花の性質や育て方などについていろいろ書くblogです。

Σ( ̄□ ̄;) (?ロ?ノ)ノ (◎-◎)  (゜◇゜)~ガーン


| | コメント (0) | トラックバック (0)

いじめについて(呟き尾形の哲学手記)

こんにちわ。呟き尾形です。

※この記事は、白い時計塔のある村呟き尾形の哲学手記の記事にも掲載されています。

  いじめ。というと、悪いこと以外なにものでもない。
 ただ、現代日本社会のシステムに組み込まれている。

 この”いじめ”という悪いことであるにもかかわらず、社会のシステムに組み込
まれているということは、それだけの効果、つまり、メリットがあるわけだ。
 そんなバカな。と思うだろうが、社会のシステムに組み込まれているということ
はそういうこと。
 だって、悪いことでかつ、メリットが無いことは、自然となくなるはずだもの。
 でも、事実としていじめは社会からなくならないんだよね。
 なんらかのメリットがあるからだ。という判断に妥当性があると考える方がいい
だろうね。
 もちろん、いじめを推奨するつもりは一切無い。むしろ、いじめは悪いこと以外
なにものでもない。と明言するのだから、無くすべきだと、私、呟き尾形は考えて
いるんだよね。
 まず、事実を事実としてみとめる。
 つまり、いじめが良いこと悪いこと。とする以前に事実として分析をしてみよう
と思う。

 まず、いじめというものは、立場の強いものが立場の弱いものに対して肉
体的、精神的苦痛を一方的にあたえる行為なんだよね。
 つまり、いじめとは、無抵抗な存在に一方的に苦痛を与えるという行為って
こと。

 で、いじめというのは、ある集団から排除する行為である。という定義は
どうだろうか?
 いきなりだけど、これはボツ。
 だとすれば、いじめは排除したい対象が無くなれば消滅するはず。
 し・か・し、日本の場合は特に、いじめは陰湿さは別として、大なり小なり
集団が存在した時点で発生するんだよね。
 そして、実際、いじめをすると「気持ちがいい」
 これは、実際、いじめをしてみるとわかるんだけどね。もちろん、いじめを
推奨するつもりは一切無い。むしろ、戒めたい。
 なぜなら、いじめは「確実に悪い」ことだからだ。

 で、逆にいじめられる側の立場に立とう。
 これが純粋に最悪である。
 実際、いじめられるとわかるんだけどね。もちろん、いじめられることを推
奨するつもりは一切無い。むしろ、戒めたい。
 なぜなら、いじめは「確実に悪い」ことだからだ。

 そんなに悪いことなのに、特に日本社会において、いじめは付きまとう。
 さぁ、手を胸に当てて考えて欲しい。
 これを読んでいるあなた。
 これまで、いじめの存在しなかった集団はあっただろうか?
 学校、会社、家族。友達関係。
 一切ないのであれば、いじめが存在していないことに気がつかなかったか、
幸せなことだ。

 なんにしても、これは集団主義下における、個人の主張を制御するためのシ
ステムとして組み込まれると考えるべきではなかろうかと思う。
 だから、集団の中で弱者がシステム的に作られ、いじめが発生する。
 そして、一方的に強い立場で攻撃できるから「気持ちがいい」
 すると、集団のために自分が一部になり、自分の主張が抑圧されているとい
うストレスが解消される。
 ポイントは、この集団による抑圧の強さによって、いじめの陰湿さという
か、ひどさがきまってくる。

 じゃぁ、どうすればいいか?

 方法は考えれば、いくつもある。

 いじめる側は、いじめ上手になること。
 いじめ以外の自己表現方法を生み出すこと。
 自分はいじめをしているのだという自覚をもっていじめること。
 などなど。

 いじめられる側は、
 自分がいじめられ上手になること。
 いじめを嫌悪しないこと。
 いじめに抵抗すること。
 他人と異なる価値観を持つこと。
 などなど。

 最後に、繰り返す。

 いじめ。というと、悪いこと以外なにものでもない。
 ただ、社会のシステムに組み込まれている。

ヾ(@^▽^@)ノ (☆o☆)キラキラ 。(*^ε^*)oにんまりぃ♪
白い時計塔のある村の伝言板
ご意見がありましたらどうぞ。

白い時計塔のある村
呟き尾形のメインのサイトです。

呟き尾形の雑記帳
雑多なことが書いてあるblogです。

呟き尾形の本棚
本や名言の紹介をしています。

みんなで哲学を語ろう
お気楽、ご気楽、コンビニ哲学をコンセプトにしたMLです。

呟き尾形の占いの話
いろいろ占いについて調べて記事にしているblogです。

みなオク創作ノート
みんなで贈れる本を作ろうというプロジェクトのblogです。

(有)尾形園芸のサイト
花図鑑などがあります。


呟き尾形のメールマガジンのバンクナンバーblog

呟き尾形の発行しているメールマガジンのバックナンバーを掲載しているblogです。

呟き尾形の自転
私的資料的サイトです。


日刊メールマガジン 心に響く名言集

メールマガジンとblogが合体した名言の紹介をしているサイトです。

言葉生花
花言葉や花のエピソードをはじめ花を紹介しているサイトです。

Sun Of Night
WRPGのサイトです。

Σ( ̄□ ̄;) (?ロ?ノ)ノ (◎-◎)  (゜◇゜)~ガーン


| | コメント (0) | トラックバック (0)

データベースについて(呟き尾形の哲学手記)

こんにちわ。呟き尾形です。

※この記事は、白い時計塔のある村呟き尾形の哲学手記の記事にも掲載されています。

 データベースについて

  データベース。というと、なんだかものすごいもののように思える。
 まぁ、一般的な定義だと、複数の独立した利用者に対して、要求に応じて
データを受け入れ、格納し、供給するためのデータ構造ということなんだけ
ど、単純に言えば、データをメインにして、複数の利用者がためたデータを必
要なときに引き出す構造なんだよね。
 むずかしそうだが、しかし、実はそうでもない。至極単純なものである。
 難しいのはデータベースの活用方法で、データベースのモデルは今のところ
たった三つしかない(まぁ、厳密に言えばこれから出てくるだろうけど)。
 ツリー型、ネットワーク型、リレーショナル型というところかな。

 ツリー型というのは、データに上下関係で結ばれているデータベース。
 社長がいて、各部の部長クラスに指示をだして、部長クラスが課長クラスに
指示をだして、係長クラスに指示をだして・・・。
 という感じの構造。

 ネットワーク型というのは、データ同士がネットワーク状につながってい
る。もちろん、1つのデータに対して複数つながっているし、全体的に見れ
ば、複数対複数の関係が結ばれている構造。
 コネクション。みたいなイメージに近い。
 Aさんは、BさんとCさんと関係があって、BさんはAさんとCさんとDさ
んと関係がある。CさんはBさんとAさんと関係がある。でもDさんとは関係
がない。EさんはFさんとGさんと関係があって・・・
 データが少ないうちは把握しやすいけれど、データが大量になると関係は複
雑になって把握しにくくなる。

 リレーショナル型というのは、関係で結ばれているデータベース。
 とある、これまでのデータベースはデータとデータがつながれている。とい
う形だったけど、リレーショナルは違う。
 データが個別に存在していて、データベースのソフトウェアの要求する条件
によってデータが引き出され、情報の塊として必要に応じて集合が作り上げら
れるといったイメージ。

 で、ツリー型であろうが、ネットワーク型であろうが、リレーショナル型で
あろうが、どれもデータベースなんだよね。
 現在は、一般に、データベースというとリレーショナル型を指している場合
が多い。
 これのデメリットはソフトが複雑になるということであり、利用者がデータ
の活用方法を自覚していないとその利用価値はなかなか上がらないというこ
と。
 逆にツリー型は応用性に乏しいけど、データの構造そのものに意味が含まれ
ている。
 ネットワーク型は利用者が把握できるレベルまでなら便利な形式。
 ってところかな。

 でね、データベースも哲学も対象をモデル化していく作業であることには
違いないんだよね。
 でも、自戒したいのは、既にあるモデルを対象に強引に当てはめること。
 対象をモデル化することと、モデルを対象に当てはめることってまったく違
う作業なんだよね。


ヾ(@^▽^@)ノ (☆o☆)キラキラ 。(*^ε^*)oにんまりぃ♪
白い時計塔のある村の伝言板
ご意見がありましたらどうぞ。

白い時計塔のある村
呟き尾形のメインのサイトです。

呟き尾形の雑記帳
雑多なことが書いてあるblogです。

呟き尾形の本棚
本や名言の紹介をしています。

みんなで哲学を語ろう
お気楽、ご気楽、コンビニ哲学をコンセプトにしたMLです。

呟き尾形の占いの話
いろいろ占いについて調べて記事にしているblogです。

みなオク創作ノート
みんなで贈れる本を作ろうというプロジェクトのblogです。

(有)尾形園芸のサイト
花図鑑などがあります。


呟き尾形のメールマガジンのバンクナンバーblog

呟き尾形の発行しているメールマガジンのバックナンバーを掲載しているblogです。

呟き尾形の自転
私的資料的サイトです。


日刊メールマガジン 心に響く名言集

メールマガジンとblogが合体した名言の紹介をしているサイトです。

言葉生花
花言葉や花のエピソードをはじめ花を紹介しているサイトです。

Sun Of Night
WRPGのサイトです。

Σ( ̄□ ̄;) (?ロ?ノ)ノ (◎-◎)  (゜◇゜)~ガーン


| | コメント (0) | トラックバック (0)

朽ち行く伝統 後編(呟き尾形の哲学手記)

こんにちわ。呟き尾形です。

※この記事は、白い時計塔のある村呟き尾形の哲学手記の記事にも掲載されています。

朽ち行く伝統 前編 へ戻る

朽ち行く伝統 後編

 私、呟き尾形は、伝統的な価値観が減価償却しきったからといって、伝統を捨
てた方がいい。という主張は一切するつもりはない。
 それよっか、これまで培った伝統をどのように守り、活かすのかが最大の問題解
決になると考えるんだ。

 伝統を守る。という理念は伝統の大切さを自覚しないとね。
 その自覚なしに努力は長続きするわけないもんね。

 私たちは伝統に芸術性や美徳みたいなものを求めている節がある。
 でも、伝統がまだ伝統ではなかった頃、それは、芸術でも美徳でもなく、
必要であったり、使用する価値のあるものであったはずなんだよね。

 で、最大の問題点は、どうも伝統というと、過去の人々が創りだしたものを
継承するという先入観がしみこんでいるってわけ。
 つまり、伝統を重んじるとき、形式ばかり気にしているいわゆる伝統の形骸
化をもって、伝統とされているんだよね。
 だからこそ、若者の鋭敏な感性は伝統をリアルに感じないし、価値観も感じ
ないわけ。

 ということは、新しい伝統的な価値観を作らないといけないのではなかろうか。
そんな風に思うんだよね。

 現代日本社会の伝統が形骸化された最大の原因は、現代日本社会における未
熟な個人主義が浸透してしまっていて、「自分以外のことは他人事」という意
識が刷り込まれているということ。
 まぁ、禁煙の場所でたむろしている若者が喫煙しているさまを見て、注意
する通りがかりの大人に若者は「オマエには、かんけーねーだろ」と反論する。
 この若者の反論には、めちゃくちゃな理屈で間違っていることを直感させ
るものの、なぜか、どこか本当のことを言っているようで、ものすごい力を
持つ。
 ダメダメ、だまされちゃ。
 これは、「私は私、あなたはあなた」という現代日本社会において浸透し
ている価値観にうったえかけるて、まさに、「自分以外のことは他人事」とい
うことを暗示しているだけ。
 そう、暗示なだけであって内容が無い。つまり、言葉なだけの形骸化した
反論で、まったく的をえていない反論なんだ。
 関係がないという根拠にはならないよ。だって、そこでお話するというだけ
で、関係が生まれるんだもの。
 その行為を見て、言った人は「イヤだ」と思ったわけだもの。

 私、呟き尾形が、新しい伝統をつくるべきとするのは、伝統を守る=「過去
の人々が創りだしたものを継承する」という先入観をなんとか雲散霧消させた
いと思うわけ。
 つまり、伝統だから守る。
 ではなくて、伝統はこれまで培われた知恵なんだ。
 という認識を明確に認識し、過去の知恵を温故知新の精神でよりよい
知恵にするってこと。
 そうすることによって、朽ち行く伝統が、作られて行く伝統になると思うん
だよね。

★★★
ヾ(@^▽^@)ノ (☆o☆)キラキラ 。(*^ε^*)oにんまりぃ♪
白い時計塔のある村

呟き尾形の雑記帳

呟き尾形の本棚

みんなで哲学を語ろう

呟き尾形の占いの話

みなオク創作ノート

(有)尾形園芸のサイト

ご意見がありましたら、こちらの掲示板もあります

日刊メールマガジン 心に響く名言集

Σ( ̄□ ̄;) (?ロ?ノ)ノ (◎-◎)  (゜◇゜)~ガーン


| | コメント (0) | トラックバック (0)

朽ち行く伝統 前編(呟き尾形の哲学手記)

こんにちわ。呟き尾形です。

※この記事は、白い時計塔のある村呟き尾形の哲学手記の記事にも掲載されています。

 朽ち行く伝統 前編
 
 骨肉の争いという言葉はありますが、それは、家族が深い情によって結ばれ
ていたからといえるかと思うんだよね。
 しかし、どうも、最近の報道を聞いていると、質が異なってきているのでは
なかろうかと思っているからね。
 家族という特別な関係の中での争いがクローズアップされている。
 世の中に、個人主義。というものがはびこっているなか、それでも集団主義
という伝統が前提となり、集団のためのそれぞれの個人が犠牲が強いられると
いうのが現実なんだよね。

 これまでは、伝統的な価値観で「親たるものこうあるべき」、「子供たる
ものはこうあるべき」という、役割分担による、ものさしがあった。
 あったけど、情報が洪水を起こしている現代において、価値観が多様化しすぎ
て、そのものさしが対応できないんだよね。実際。
 だから、より確実なものさしである「私」というものを根拠にしないとダメになっちゃう。
 となると、たとえ、家族という特殊な関係でつながれてあっても、「私は私、
他人は他人」という感覚が発生しやすくなるってわけ。
 伝統的な価値観による、ものさしは、ものさしとしての効果が期待できな
くなった。つまり、伝統的な価値観の減価償却しきった状態だよね。

 現代日本社会のOSといえる既存の伝統が劣化するあまり、人が担える以上
の負担をかけるようになっちゃた。
 それが、心に余裕が持てない理由と思うんだよね。

 個人主義、集団主義それぞれは長所、短所があるよね。用は見方次第でかわるってこと。
 だけど、現代日本社会という社会はこの両方が混在してるのね。
 それは、報道における様々な社会を震撼させるような事件を引き起こす一つ
の要因となっているんじゃないかな。
 人々が残酷になれるのは、相手を自分と同じ存在であるというリアリティー
がうすれているためって考えられるんだ。
 そう考えると「私は私、他人は他人」という私の責任でなければどうでもいいとい
う感覚が相手を自分と同じ存在であるというリアリティーを薄れさせる原因に
なってるんじゃないかなぁ。

 たとえばね。
 通勤一つとっても、順番を守った守らないで言い争いになり、ぶつかったぶつか
らないで争いになり、学生が我が物顔で喋りまくる。
 それを注意したものならケンカになる。
 じゃぁ、大人はというと、人の迷惑顧みず大きく新聞を広げていたりするし、
何気ない顔して、電車の立つ場所争いに火花を散らしていたりする。
 困っている人を優先するはずのシートの目の前に、対象者が現れても寝た振
りをしたりする。もちろん、込み合いすぎて譲るに譲れないこともあるのも認めるよ。
 若い女性は、痴漢行為の警戒心が強すぎて、どんな理由があろうとも、少し
でも体が接触しようものなら睨みつけたり、嫌がるそぶりを大げさにする。
 ひとたび、電車が止まれば駅員が電車を止めたのごとく怒鳴りだす。
 他人の迷惑顧みず、自分の都合で駆け込み乗車。
 もう、そこには、譲り合いやお互い様の伝統は消えてしまっている。
 もちろん、まったく無い。とは言いませんが、そこにその古きよき伝統がもっ
と伝統的な価値観として力を各自に持たせていればこんなことにはならないはず
だよね。
 伝統的な価値観があれば良いのではなく、効果的に機能しなければ形骸化して
いるにすぎないと思うわけ。
 伝統的な価値観が、減価償却しきったといえるんだよね。

 もし、伝統的な価値観、つまり、譲り合い、お互い様の精神がリアルに人々
の心に浸透しているなら、先日お話した通勤電車のような現実はおこることは、
稀であるはずなのに、それが日常になってる。
 それはなぜか?
 これが目下私、呟き尾形が考えていること。

★★★
ヾ(@^▽^@)ノ (☆o☆)キラキラ 。(*^ε^*)oにんまりぃ♪
白い時計塔のある村

呟き尾形の雑記帳

呟き尾形の本棚

みんなで哲学を語ろう

呟き尾形の占いの話

みなオク創作ノート

(有)尾形園芸のサイト

ご意見がありましたら、こちらの掲示板もあります

日刊メールマガジン 心に響く名言集

Σ( ̄□ ̄;) (?ロ?ノ)ノ (◎-◎)  (゜◇゜)~ガーン


| | コメント (0) | トラックバック (0)