毎日うまくいくことはありません。
こんにちは。呟き尾形です。
毎日うまくいくことはありません。
毎年うまくいくこともありません。
(だから)良かったことを喜ばなくてはいけないのです。
─ リース・ウィザースプーン ─
毎日が必ずしも順調に進むわけではありません。
毎年もうまくいくことばかりではありません。
だからこそ、うまくいったことに価値があります。
価値ある体験を感謝し、それを心から喜ぶべきなのです。
---------------------------------
★★★プロ野球5 ピッチャー
-------------------------
●11月9日は、ベルリンの壁崩壊の日です
●ベルリンの壁崩壊の日
1989年(平成元年)11月9日、ドイツ・西ベルリンを囲んでいた「ベルリンの壁」が取り壊され東西ドイツが統一されました。
ベルリンの壁崩壊は、1989年11月9日に突如として東ドイツ政府が、東ドイツ市民に対して旅行の自由化を発表した事によって、実質的に意味を持たなくなりました。
このことにより、ベルリンの壁が、東西通行の自由に歓喜した東西ベルリン市民(東ベルリンと西ベルリン)によって、ハンマー、建設機械などによって粉砕されたのでした。
ベルリンの壁崩壊は、東西ベルリン市民のみならず、東西ドイツ市民、世界中に「感動」と「歓喜」を生み出しました。
この「感動」と「歓喜」こそがその後の驚異的なスピードでの「ドイツ再統一」の原動力となったそうです。
さて、「東ドイツ市民に対して旅行の自由化を発表」については、事前に予定されたものでも、計画的なものでもありませんでした。
もちろん、「旅行許可の規制緩和」の政令案が東ドイツ政府首脳部に提案されてはいましたし、政府首脳部は国内のデモや国外に流出する東ドイツ市民への対応に追われていました。
そのような中で、大した審議をすることもできないまま、政令の内容を確認したかも怪しい状態で、政府首脳部の審議を通過してしまったのです。
そうした、宙ぶらりんの状態で、この政令の内容を発表されることになり、東ドイツ政府のスポークスマンであったギュンター・シャボウスキーは、「旅行許可の規制緩和」の政令案の会議には出席しておらず内容をよく把握しないまま記者会見を始めてしまったのです。
「東ドイツ市民に対して旅行の自由化を発表」について、記者会見場に詰め掛けたジャーナリストは、まさに青天の霹靂で、「(この政令は)いつから発効されるのですか?」
と半信半疑で、質問したところ、実際には翌日の11月10日の朝に発表することが決められていたにも関わらず、シャボウスキーが「私の認識では直ちにです。」と発表したのでした。
この記者会見は、夕方のニュース番組において生放送されており、「旅行が自由化される」の部分だけが強調されてしまいました。
この生放送をみていた東西両ベルリン市民は半信半疑で壁周辺に集まりだしたのです。
国境警備隊は指令を受け取っておらず、報道も見ていなかったため、ゲート付近ではいざこざが起きたのです。
事態の悪化を恐れた東ドイツ政府がゲート開放を決定し、東西ベルリンの国境は開放されることになりました。
こうして、1961年8月13日に建設が始まった「ベルリンの壁」は1989年11月9日の夜、突如としてその役割を終えることとなったのでした。
---------------------
★★★ベルリンの壁2
---------------------
名言を通して、問い、自分自身見直す。それが私にとっての哲学の訓練です。
で、偉人の言葉だから名言なのか、名言を言うから偉人なのかは無関係です。
ですが、私のような凡人が名言を言ってもそれは、名言であることはかわりません。
※ここから下は、呟き尾形のサイトやブログのリンクです。
フッターとして使っていますので、呟き尾形の記事に興味を持っていただければ、気になる記事をご覧になっていただければ幸いです。
v1031
----------------------- ---- -----------------------
ウリャθ ̄∇ ̄)θ☆スパパーン (ノ゚⊿゚)ノハウッ!ヘックション(>ω<)/。・゚゚・
★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★
-----------------------
------------------------
Sun Of Night
https://w.atwiki.jp/webrpg/pages/1.html
性格
| 固定リンク
コメント