人々にも喜びを与える
こんにちは。呟き尾形です。
自らも楽しみ
人々にも喜びを与える。
大切な人生をこうした心構えで送りたい。
─ 松下 幸之助 ─
人生、喜びを感じることが幸せです。
かといって、自分だけが喜びを感じるだけでは、不幸になります。
なぜなら、自分だけよければよいという利己的な考えは、周りの人を不幸にし、
その結果、信頼を失い、周りの人が去っていき、やがて敵になるからです。
それに対して、自分を犠牲にして、他人を喜ばせるだけには、心がすり減り不幸になります。
ですから、いっそのこと他人を喜ばせることを楽しむことです。
自分の行為が他人に喜びを与えた時に充実感を感じられれば、幸福になれます。
なぜなら、自分の行為が他人の喜びという結果を実感できるだけではなく、喜びを共有できるからです。
喜びを共有すれば、その喜びは何倍にも膨れ上がるのです。
1月25日は左遷の日です。
●左遷の日
901(延喜元)年1月25日、右大臣・菅原道真が醍醐天皇によって九州の大宰府に左遷が言い渡され都を旅立った日です。
菅原道真は、代々学者の家系に生まれ、18歳で文章生となり、33歳で文章博士となったそうです。
宇多天皇の信任が厚く、藤原氏を抑えるために重用されました。
42歳の時讃岐の国司に赴任し、4年後に帰国すると宇多天皇の下、昇進を重ねたそうです。
899年左大臣藤原時平と並んで右大臣に任ぜられましたが、学者出身の人物としては異例の出世でした。
この菅原道真の才能を妬む左大臣・藤原時平は、道真を罪に陥れてやろうと策略し「道真は国家の政治を私物化している」と醍醐天皇に何度も讒言した。これにより、天皇も道真のことを逆臣と思いこむようになったそうです。
その結果、901年1月20日に菅原道真を太宰権帥に左遷、筑紫国に流罪とされました。
菅原道真は、梅の花を好み、邸内にはたくさんの梅を植えていたので、邸宅は「紅梅殿」とも呼ばれていて、長年住み慣れた自宅の庭に植えられていた梅が咲いているのを見て
"東風吹かば匂ひ送来せよ梅の花 主無しとて春を忘るな"
と詠み、この日、都を旅立ったそうです。
伝説では、その梅は菅原邸から太宰府の庭まで飛んで行ってそこに根づいたという「太宰府の飛梅」ともいわれています。
菅原道真は無念の思いを抱きながら、2年後の903(延喜3)年2月25日に亡くなったそうです。
菅原道真の死後、都では落雷などの天災、また、藤原時平一族の早世が相次いだため、人々は、これを「道真の怨霊のしわざだと…」と噂するようになりました。
その霊を慰めるため、その罪を取り消して太政大臣の位を贈るとともに、京都・北野に道真を祭神とする天満宮(947年)が建てられ、「北野天神」として祀ったそうです
★★★_貿易の日
このblogは、月曜日から土曜日更新予定です。
名言を通して、問い、自分自身見直す。それが私にとっての哲学の訓練です。
で、偉人の言葉だから名言なのか、名言を言うから偉人なのかは無関係です。
ですが、私のような凡人が名言を言ってもそれは、名言であることはかわりません。
※ここから下は、呟き尾形のサイトやブログのリンクです。
フッターとして使っていますので、呟き尾形の記事に興味を持っていただければ、気になる記事をご覧になっていただければ幸いです。
20220124
.
今回は、占いが非科学的だと思われる方へ メールマガジン 占いが非科学的だと思う方へ 190号 科学的な方法 4 を追加しました。
次に、リンク集 オンライン小説系 リンク集 を編集しました。
次に、小説 哲学モンスター ソクラテスの迷宮01 を追加しました。
!登場♪[壁] ● ^ ▽ ^ ● )ノ
★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★
20211101
.
★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★
c(・。・) ちょこっとね・・・_(・・)/◇ホイ(*゚ー^)/'`*:;,。・★召還☆・:.,;*(ΦwΦ;)Ψ
★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★
| 固定リンク
コメント