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科学的な研究において、普通は基準にならない

●科学的な研究において、普通は基準にならない。

 当たり前といえば、当たり前ですが、科学者は何らかの意味で「信じる」あるいは「予想する」ことがあるから研究することが可能です。
 なにも信じない、なにも予想しない、という人はそもそも研究すべき問題を設定することすらできません。
 これは、科学という方法論以前に、なぜかわからないけれど、信じられること、予想してしまったことがあって、ある種の確信が生じていると私は考えます。
 それを科学によってなんらかのアプローチをすることは、科学の方法論において、原理的に不可能だといえるわけです。

 さて、いうまでもありませんが、人は、それぞれ、固有の普通を抱いています。
 一般には、普遍的な普通などなく、各自の普通は、他者にとって普通ではない場合があり、だからこそ、科学という方法論は必要とされているのだといえるでしょう。
 日常生活等において、普通はその人の根拠になりえますが、さまざまな学問を適用させると、その普通は先入観になってしまいます。
 結果的に、普通は主観的な思い込みであるからです。
 それが悪い。ということはなく、むしろ、そうした仕組みがなければ、私たちは、知的な活動は、なにもできなくなるということです。

 それだけに、ただ、予想がはずれたらそのときはそのとき、と覚悟している(もつりん、受け入れがたく難しいことですが)ことが重要です。
 なぜなら、一般に、普通や当たり前というものは、きわめて主観的、個人的な基準による判断であって、客観的な基準を設けていません。
 私が述べているのはこうした、個人的、主観的な普通や当たり前を信じるべきであないのであって、信念などを信じてはいけないということではありません。

 普遍的な普通など存在しないからこそ、普通は根拠にならず、客観的な基準を設けて研究をするわけです。

 つまり、科学的な研究において、普通は基準にならないということがいえるわけです。



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