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古人は神の前に懺悔した

こんにちわ。呟き尾形です。

古人は神の前に懺悔した。今人は社会の前に懺悔している。
 ― 芥川 龍之介 ―(「侏儒の言葉」)

 懺悔とは、自分の犯した罪悪に気づき、それを神仏や他人に告白し、悔い改めることを誓うことです。

 一般に懺悔は、神仏に告白することで、悔い改めることになっています。

 しかし、今は、社会に対して責任を取るという形で、悔い改めた誓いをお金や行動をもって示さなくてはいけなくなりました。

 ただ、社会に対して責任を取るとしたとき、本当に自分の犯した罪悪に気がついているかは非常に疑問です。
 なぜなら、罪悪とは道徳に反する行為であり、そもそも道徳とは、自分自身の内面的原理としてはたらくものであり、法律とのような外的強制力によるものではないからです。

 もしかしたら、現代社会というものは、そこまで人間の心を捻じ曲げてしまっているのかもしれません。

 

ヾ(@^▽^@)ノ (☆o☆)キラキラ 。(*^ε^*)oにんまりぃ♪
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