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思いやりとは、本能である

こんにちわ。呟き尾形です。

例えば、友達が転ぶ。ああ痛かったろうな、と感じる気持ちを、
そのつど自分の中で作りあげていきさえすればよい。
 ― 司馬 遼太郎 ― (『二十一世紀に生きる君たちへ』)

 人間同士は、コミュニケーションをとると、ある種の共感をえられるといいます。

 この共感のメカニズムのポイントになるものが、ミラーニューロンであるといわれています。

 ミラーニューロンとは、自分の動作と他人の動作に「鏡」のように同じような反応をする神経細胞のことです。

 既に、人には人間の体の機能として、共感する仕組みになっているのだといえます。
 であれば、共感によってえられる思いやりの気持ちは、本能であり、生まれてそもそも備わっているものであるといえます。
 自然に従うのなら、人が肉体を鍛え上げるように、「友達が転ぶ。ああ痛かったろうな、と感じる気持ち」というものを作り上げていく事で、思いやりの心を発達させるのが筋だといえるでしょう。


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