堕落しゆく憲法
こんにちわ。呟き尾形です。
自民党新憲法前文原案というものがあるそうです。
とりあえず、10月28日時点の前文の原案を引用します。
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日本国民はアジアの東、太平洋と日本海の波洗う美しい島々に、天皇を国民統合の象徴として戴(いただ)き、和を尊び、多様な思想や生活信条をおおらかに認め合いつつ、独自の伝統と文化を作り伝え多くの試練を乗り越えて発展してきた。
日本国は国民が主権を持つ民主主義国家であり、国政は国民の信任に基づき国民の代表が担当し、その成果は国民が受ける。
日本国は自由、民主、人権、平和、国際協調を国の基本として堅持し、国を愛する国民の努力によって国の独立を守る。
日本国民は正義と秩序による国際平和を誠実に願い、他国と共にその実現の為(ため)協力し合う。国際社会に於(お)いて圧制や人権の不法な侵害を絶滅させる為の不断の努力を行う。
日本国民は自由と共に公正で活力ある社会の発展と国民福祉の充実をはかり教育の振興と文化の創造と地方自治の発展を重視する。自然との共生を信条に豊かな地球環境を護(まも)るため力を尽くす。
日本国民は大日本帝国憲法及び日本国憲法の果たした歴史的意味を深く認識し現在の国民とその子孫が世界の諸国民と共に更に正義と平和と繁栄の時代を内外に創(つく)ることを願い、日本国の根本規範として自ら日本国民の名に於いて、この憲法を制定する。
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だそうです。
ちなみに、現在の憲法、つまり、日本国憲法の前文です。
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日本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し、われらとわれらの子孫のために、諸国民との協和による成果と、わが国全土にわたつて自由のもたらす恵沢を確保し、政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意し、ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する。そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものてあつて、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する。これは人類普遍の原理であり、この憲法は、かかる原理に基くものである。われらは、これに反する一切の憲法、法令及び詔勅を排除する。
日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであつて、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。
われらは、いづれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであつて、政治道徳の法則は、普遍的なものであり、この法則に従ふことは、自国の主権を維持し、他国と対等関係に立たうとする各国の責務であると信ずる。
日本国民は、国家の名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓ふ。
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で、
日本国憲法についていろいろあるサイトです。
ウィキペディア(Wikipedia) 日本国憲法
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E5%9B%BD%E6%86%B2%E6%B3%95
さて、憲法とは、国家の基本的事項のことです。
他の法律や命令に先立つことから、他の法律や命令で変更することのできない、国家最高の法規範だということです。
それを改正する。
というのは、改正する時代の価値観と哲学が大きく影響するといえるでしょう。
いわんや、国民主権の国家を自らの憲法の前文で明記する国家であれば、各国民の価値観と哲学によって練磨されるべきであると言い得ると考えます。
それが、一部の政党によってなされようとしているということは、きわめて心外かつ、国民主権の侵害といいえるとおもえますが、そのように仕向けたのは、私たち国民であることは事実ですからしかたありませんね。
くわばら、くわばら。
さてさて、これは、私見です。
どうも、自民党新憲法前文原案を読むと、国民の責務ばかりを明記して、国の責務っぽいところすら、国民の責務のごとく書いてあります。
どうも、自民党は、国民のために国家があるのではなく、国家のために国民があるのだ。だから、一人一人の国民は国家存続のために、責務を果たす努力をせねばならぬのだ。
という価値観が背後にあるようにおもえてなりません。
むろん、これは、前文を読む限りの、私の印象です。
が、国民主権であるということは、国民のために国家があるということを示すもののはずです。
なぜなら、主権とは、とどのつまりは、国家の統治権のことです。
そして、国家の意思や政治のあり方を最終的に決定する権利ということであり、国民が主であり、国家が従であるということのはずなのです。
しかし、最高の法規範の前文において、国民の責務を特に強調し、国の責務をおざなりにするというのは、疑問があるわけです。
といいますのは、憲法というものの目的は、国家の責務を取り決めるからこそ、憲法が、国家のの基本的事項になりうるのです。
それが、国民の責務とされるのは、何か本質がズレているのです。
特に、前文の中に「多様な思想や生活信条をおおらかに認め合い」とありながら、「国を愛する国民」という文が、同じ文章の中にあるのは、矛盾します。
なぜなら、「多様な思想や生活信条」の中には「愛する」ものは限定しえないからです。
しかし、「国を愛する」と、愛国心を前提としてしまっています。
愛する対象を含めて、愛国心というものは、道徳の分野であって、法によって定められるものではありません。
しかし、ながら、自民党新憲法前文原案の日本国民を日本国。
とすると、「国を愛する国民の努力によって国の独立を守る」という部分以外は、(内容の是非は保留して)その違和感は消えてなくなります。
もしかすると、憲法は、国の最高の法規範から、他の法律と同じ、社会生活の秩序を維持するための、為政者によって定められた、国民に強制する規範に堕落したのかもしれません。
憲法改正について、検索してみてみつけたサイトです。
「戦争のできる国」めざす自民党新憲法案
http://www.labornetjp.org/news/2005/1130569911198staff01
前文に「国を愛する国民」 自民新憲法草案、骨格判明
http://news.goo.ne.jp/news/asahi/seiji/20051007/K2005100702220.html?C=S
自民、新憲法草案を決定
http://news.goo.ne.jp/news/sankei/seiji/20051029/m20051029002.html?C=S
自衛軍を明記、戦争放棄は条項維持 自民が新憲法草案
http://news.goo.ne.jp/news/asahi/seiji/20051029/K2005102802940.html?C=S
新憲法前文素案の全文 自民党小委員会まとめ
http://search.nifty.com/cgi-bin/search.cgi?select=2&cflg=%8C%9F%8D%F5&Text=%90V%8C%9B%96%40%81%40%91O%95%B6
自民新憲法草案前文
http://blog.ptlabo.net/index.php?id=05100030
自民新憲法:「国の説明責任」など盛る 「第2次案」
http://www.mainichi-msn.co.jp/seiji/gyousei/news/20051013k0000m010076000c.html
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