現代人が求める自由
こんにちわ。呟き尾形です。
現代人は自由そのものを求める。
何かをしたいための自由ではなく、何かをしないための自由である。
― 福田恆存 ― (『人間・この劇的なるもの』)
自由には、様々な意味がこめられています。
他からの強制・拘束・支配などを受けないで、自らの意志や本性に従ってという意味の自由。
自らを自律的に統御し、内なる必然から自発的に行為するという、哲学的な意味での自由。
物事が自分の思うままにするという、他者の自由を奪って自分が自由になるという、パラドックスをふくむ意味の自由。
このように、自由という言葉の意味自体が自由になってしるようです。
さらにいえば、政治的にも、歴史的にも時代によって異なる内容をもちます。
古代ギリシャにおいては、奴隷と区別されたポリス市民固有の属性であり、すぐれたものへの洞察力を意味していました。
中世ヨーロッパにおいては、身分的特権の別名でした。
近代のリベラルな自由概念は、一七世紀の宗教戦争以来の意味で、市民革命を経て強化・確立されました。
こうして、現代において、公式につかわれる、宗教、思想、信条、言論の自由にいたったわけです。
さらにいえば、権力と対立しこれを制約する自由。
マルクス主義的には、社会全体が解放され、人格の自律させるための自由。
と歴史の分だけ、自由の意味が広がっていきます。
では、現代人が求める自由とは一体何でしょうか?
上記のような、何かをしたいための自由ではなく、何かをしないための、怠惰な自由であることが多いようです。
う~ん、残念。
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ヾ(@^▽^@)ノ (☆o☆)キラキラ 。(*^ε^*)oにんまりぃ♪
白い時計塔のある村
Σ( ̄□ ̄;) (?ロ?ノ)ノ (◎-◎) (゜◇゜)~ガーン
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