言葉への過信
こんにちわ。呟き尾形です。
言葉さえあれば、人生のすべての用は足りる
という過信が行き渡り、人々は一般に口達者となった。
― 柳田 国男 ― (民俗学者)
ここで言う、言葉とは、論理ないし理論のことです。
たしかに、論理的に正しい事、理論的に正しい事は、実現しそうに思えますし、その多くは、実現します。
だからこそ、人は、言葉を信頼し、言葉に依存します。
しかし、だからといって、すべてが、そうだとは限りません。
言葉を過信すると、論理的に正しくとも、巧言令色により、不道徳なことがあります。
言葉を過信すると、理論的に正しくとも、机上の空論で、実現しないことがあります。
確かに、言葉は、万能かもしれませんが、万能であるがゆえに、意図的に、偽りをもっともらしく強弁することが出来ます。逆に、真実を捻じ曲げ、偽りだとヌレギヌを着せる事も出来ます。
言葉への過信が悪用されて、言葉は詭弁を可能にするのです。
必要なのは、論より証拠と、確かめてみることです。
いかに、言葉で飾ろうとも、百聞は一見にしかずなのです。
言葉は有効な手段で、信じるに値する手段です。
しかし、言葉を過信してはいけません。
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