希望をもてないものが、どうして追憶を慈しむことが出来よう
こんにちわ。呟き尾形です。
希望をもてないものが、
どうして追憶を慈しむことが出来よう。
― 梶井 基次郎 ― (『冬の日』)
慈しむということは、対象を、かわいがって、大事にすることです。
追憶とは、昔の記憶を思いしのぶことです。
追憶を慈しむという行為は、一見、未来に背を向けているように思える行為ですが、それは希望を持っているからこそ、追憶に希望を投影していること他なりません。
ですから、希望をもっているからこそ、昔の記憶を思いしのび、大切にしようとしている行為だということになります。
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ヾ(@^▽^@)ノ (☆o☆)キラキラ 。(*^ε^*)oにんまりぃ♪
白い時計塔のある村
Σ( ̄□ ̄;) (?ロ?ノ)ノ (◎-◎) (゜◇゜)~ガーン
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