自分の中にある認めたくない自分
こんにちわ。呟き尾形です。
他人に対して苛立ちを感じた時は、自分について知るいい機会である。
― カール・ユング ― (スイス心理学者)
http://www.d4.dion.ne.jp/~yanag/kora7.htm
この名言はシャドーについて語られています。
シャドーとは、自覚していない自分自身である。ということになります。
面倒なのは、シャドーとは、無意識の現象なので、意識の方では、自覚していないわけですから、自分には心当たりがないのです。
自分の中にある認めたくない自分(シャドー)は無意識下に押さえ込まれ、外部への否定という形で現れます。
それらを上手くコントロールできないからこそ、人は他人や物に嫌悪を感じます。
で、その嫌悪は、時として苦痛にすら発展します。それは、自分が認識できない自分、つまり、シャドーを受け入れることができないからです。
問題なのは、自分が認識できないとはいえ、それは自分であることには間違いないため、自分が存在する限りついて回ります。
つまり、シャドーは自分の嫌いな部分を他人に投影することで、その人を嫌いになるわけで、その人を自分の生活から排除するようにしても、再び違う人が同じシャドーとなって、自分の前に立ちはだかります。
ですから、シャドーを解決しない限り、投影した人物、物を物理的に避けても異なる人物や物に投影します。
これがシャドーの厄介なところです。
このシャドーという無意識の存在が、人の争いの根源でもあるともいえると考えています。
このシャドーをどのように解消するかについては、個人差があります。ここがシャドーをさらに厄介にする理由の一つでもあります。
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ヾ(@^▽^@)ノ (☆o☆)キラキラ 。(*^ε^*)oにんまりぃ♪
白い時計塔のある村
Σ( ̄□ ̄;) (?ロ?ノ)ノ (◎-◎) (゜◇゜)~ガーン
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