幼い頃は、過保護なくらいがちょうどいい
こんにちわ。呟き尾形です。
幼い子供の育児において、ちょっと見た目には過保護なくらいがちょうどいいように思います。
といいますもの、単純に、幼い子供の肉体的能力と理解力は、大人が想像する以上に発達していないからです。
もちろん、過保護というのは、幼い子供のやりたいことのサポートであって、甘やかすことではありません。
ですから、しつけしない。とかしからない。という意味ではありません。
過保護というのは、子供を大事にしすぎるということです。
そして、大事にするというのは、大切にするという意味であり、結果的に、子供のためにならないことになることは、大切にしている。とはいえません。
結果的に、子供のためにならないというのは、躾をしない。叱らないということです。
幼い子供は、いうまでもなく、自己中心でわがままです。
しかし、それではこれから接する社会では、孤立していきます。
躾をするということは、礼儀作法を教え、身につけさせることです。
叱るということをは、良くない言動を注意することです。
幼い子供は、自ら礼儀作法を学習することはまずありません。
同様に、自分にとって快か不快ぐらいの良し悪しは判断できても、まわりの人に迷惑をかけているのかどうかということを基準にする良し悪しは学習は難しいものです。
それを、社会で生活するために教育するのは親の責任ですし、その教育を受けない子供は、社会において孤立するでしょう。
ですから、躾も必要ですし、時には叱ることも必要です。
ところが、過剰干渉は、子供をダメにします。
過剰干渉とは、子供が望んでもいないことを、押し付けることです。
子供が欲しい洋服ではなく、親が子供に着せたい洋服を押し付ける。
子供が興味を持ったことではなく、子供に教えたいことを押し付ける。
子供がやりたがっている遊びではなく、子供にやらせたい遊びを押し付ける。
これは、親が自分の感情を満足させるために、やっていることが多いと思われます。
もちろん、子供を甘えさせて良い。ということではありません。
子供が自分で欲しい、興味を持っている、やってみたい。ということを親が認識し、状況が許せば、それをやらせる。
それによって、自立心や自主性を育てると、私は考えます。
逆に、なんでもかんでも、親が決めてしまうと、子供の自立心や、自主性は育ちません。
最後に、過保護になってしまうのは、子供がとてもとても大切だからです。
そして、本当に大切だと思っているのであれば、常に子供の将来、なにが必要か、考えながら、行動しないといけないと考えます。
ですから、何を子供に得て欲しいのか? ということを意識しながら育児をするしかありません。
自立心や自主性を得て欲しいなら、子供が欲しいもの、興味をもっているもの。やってみたいことをしっかり認識して、子供が望むとおりにさせてあげましょう。
その上で、自制心を得て欲しいなら、子供の言動に対して、叱ったり、誉めたりして、躾けましょう。
子供に安心感を与えたいなら、甘えさせてあげましょうよ。
人生万事、塞翁が馬。
何が良い結果になって、何が悪い結果になるという決まりはありません。
なんとも、親の仕事というのは、難しいものです。
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