選挙ストライキから納税ストライキへ
こんにちわ。呟き尾形です。
日本のプロ野球において、選手会と経営陣とで、いろいろ話し合っているそうです。
選手会は、一方的な経営者側の主張に、場合によってはストライキも考えているそうです。
そりゃ、そうだよな。と思います。
なんか、これって、国政にもにたような、なんていうんでしょう、お上が決めたから従わざるを得ない。っていう感じの、諦めにもにた、落胆だけダメなんだ。
強引といわれるまでの、何らかの形で気持ちを表さないと、上には通じないんだ。
ということを感じさせられました。
一般常識においては、それを選挙で反映させればいい。ということになっているけれど、選挙のときだけいい顔をする立候補者と行政では、疑問符がつきます。
その上、投票しても、当選しなかった人に投票した”尊い一票”は、現在のシステムにおいて、無効も同然になります。
そこで、多くの人は選挙ストライキに入っているわけですが、その効果むなしく、逆に浮動票が少なくなって、ニンマリさせるような状況です。
もう少し、困る形にしないと、分かってもらえないようです。
そこで、思いついたのが、納税ストライキ。
もちろん、非常識この上ない発想です。法律違反そのものです。
でも、民意を無視するという、民主主義の理念に反することは法律違反にはなりません。
彼らは、納税が当たり前だと思っているでしょう。
しかし、民主主義国家において、民意を無視することは悪いことです。
ちょっとまとめてみましょう。
理念にそむくことは悪いことである。
政治家の多くは理念を無視している。
ゆえに、政治家は悪いことをしている。
三段論法の出来上がりです。
法律を違反しなければ、どんな悪いことをしてもいいのでしょうか?
良いわけがありません。じゃぁ、法律が不足しているのか?
いいえ、違います。法律は人の良心を前提にしています。
それを、多くの政治家は悪用しているのでしょう。
その政治家はルール違反をしている。
ルール違反をすれば、何らかのペナルティーを受ける。
ゆえに、その政治家は、なんらかのペナルティーを受ける(べきである)。
これも、三段論法の出来上がりです。
汚職だけが、政治家の悪いことではありません。
民主主義において、政治家は公僕とも言える役割であり、国民の為に働く責務が発生します。まぁ、民意を尊重するってことです。
それをしないのは、ルール違反と言うものでしょう。
まぁ、ルールを守らない相手がいるからといって、自分もルールを守らないというのでは、同じ低レベルな存在になるので、本気で納税ストライキをするつもりはありません。
が、そこまでしないと分かってもらえないのかなぁ。と思ってしまいます。
せめて、選挙の投票率の低さって、選挙ストライキだってぐらい、わかってよ。とは言いたいですね。
まぁ、選挙ストライキに効果がないのは分かっているから、今日の選挙には行くつもりだけどさ・・・
ちなみに、意見を言うなら・・・
呟き尾形のサイト
白い時計塔のある村
| 固定リンク
コメント