みんなで哲学をかたろう
こんにちわ。呟き尾形です。
本日は、私がオーナーをしている「みんなで哲学を語ろう」ML(通称みなてつ)の紹介をしたいと思います。
みなてつでは、コンセプトとして、おき楽ごきらく、コンビニエンスをコンセプトに、学問としての哲学を前提とせず開設されました。
みなてつ参加メンバーが、学問としての哲学を前提とせず、それぞれが持つ哲学を語り合うということでを目的にしているということです。
それは、メンバーの方が普段語らない心のうちにある哲学を語り合い、個々の哲学をさらに深められることを実現させたいと思っているわけです。
もちろん、学問としての哲学を、前提にしていないからといって、それを否定するつもりは在りません。
で、私は、みなてつが開設されたひそやかなる野心を持っています。一人でも多くの人が哲学を語り合える環境づくりと言うものです。
そのためには、まず、もっと哲学というものに対する先入観を無くすことだとおもっています。
たとえば、哲学と聞いただけで、興味はあるものの、ついつい敬遠してしまう雰囲気のことです。
あくまで私見ですが、哲学は強い意志を貫くための道具であり、柔軟な思考を持つための道具だと思っています。
ですから、哲学は、もっとお気楽ご気楽コンビニエンスな道具なんだ。という認識が広まればいいなぁ。と思っていました。
ところが、みなてつを開設する以前、インターネット上のあるところでは、など、こんなことも知らないようじゃ、哲学を語る資格は無いね。なんてことを平気で言ってのけるところがあり、そこはそれは当然という雰囲気がありました。
ただ、みなてつ以外のコミュニティー(まぁ、みなてつが開設される前の話ですから当然ですが)において、そういうことを言う人の多くは、どこか知ったかぶり的というか、自分の普通、自分が理解できることだけをみとめるというか、自分が知らないことを知らないという現象が見え隠れしているように感じたものでした。
私はそれはおかしいだろう。という思いが原動力となって、上述した目的および、野心をもって、みなてつを開設しました。
そんなわけで、「みんなで哲学を語ろう」では、 だから、知識をひけらかすだけの場所にはしたくないという思いがあります。
もちろん、語り合う上で知識を利用することは悪いこと。という意味ではありません。
哲学者の哲学を利用することもまた、一つの哲学だからです。
でも、その知識を伝えた後に、その人が伝えたいこ(その人の哲学)とが続くはずなのです。
で、哲学には難しい専門用語がたくさん出てきます。私は自分に対して、いかに難しいテーマだとしても、難しい専門用語を使わずに、知らない人に説明できるくらいじゃないと、それは理解したことにはならない。と思っています。
さらに言ってしまえば、難しいことを難しく言ってしまうことはものすごく簡単なことなんですけど、難しいことを簡単に言ってしまうことはものすごく難しいことなんです。
私は難しい話題を語り合う上において、聞き手よりも語り手の方に高度なレベルが要求されるように思います。
なので、語り手が低レベル(難しいことを難しく言う)な表現をして聞き手に理解されなかったとしても聞き手が低レベルなわけじゃない。と思うんです。
とはいえ、これは私の考えであり、他人に要求するわけではなく、自戒の念としてそう考えているんですけどね。
なにはともあれ、興味をもたれた方、参加してみたいなという方は、過去ログやら、ルールやらどんなメンバーが参加しているかなど、みなてつのホームページがありますので、そちらを参照してみてください。
呟き尾形のサイト 白い時計塔のある村
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