共産主義への憧れ
私、呟き尾形は、共産主義というものに、一種の憧れを抱いています。
何を持って共産主義とするか。とてもとても難しいですけどね。。
なぜなら、日本人は共産主義をひどく誤解しているように思えます。。
ですから、とりあえず、共産主義というのは、財産を共有しよう。という考え方で話を進めてみます。
実際、共有した財産を平等に分けようとするから、いろいろな問題がでるわけで、そんなものこだわらなければ、日本のようにやっていけるように思えます。
たとえば、「お互い様」の精神をもつとか、年金なんかは、共産主義的な考え
方といえます。
日本は結構うまくやっていけています。。
たとえば、日本の歴史でいうなら、「お家」という考え方。
この「お家」というのは、いわゆる一族郎党のことですね。
すべては、「お家」の為、そんな伝統が日本にはこびりついているんですよね。
いわゆる、家を継ぐという考え方は、日本において、単純に有形の財産を告
ぐのではなく、無形の財産、つまり「お家」の伝統、というか、文化を引き継
ぐ意味をもっています。
そして、同じ「お家」に属する人は、「お家」という有形、無形のすべての
財産を共有するってことです。
もちろん、いろんな問題はあります。
上述したように、それを平等に分け合おうとするといろいろな問題が出てく
る。それは本当は共産主義チックではありません。
なぜなら、財産を共有するってことは、個人の財産にこだわらないということですからね。
つまり、大きな矛盾があるから、問題になるわけです。
でも、「お家」でもなんでもいいのだけど、自分の所属する組織が繁栄するこ
とで、自分が繁栄する仕組みにすればいいとおもいます。
なにも、繁栄というのは、財産の所有だけが繁栄じゃないってことですね。
たとえば?
たとえば、未来の安心、平和、安定した生活なんてもの繁栄の一つだよね。
その組織において立場を用意してもいい。
まぁ、前提として、欲望はきちんと自分で制御しましょう。というのはつくけ
ど・・・そこは、ま、きにしないきにしない(笑)
で、私、呟き尾形が、共産主義に憧れを感じるのは、個人の財産という争いの
原因を一つ解消できるとおもえます。
自分の財産にこだわり始めると、どれが自分のものか気になり始めわけですから、これがなくなるだけでも、争いのもとが少なくなるような気がするのです。
呟き尾形のサイト 白い時計塔のある村
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コメント
こんにちは。
共有っていう概念、近代の日本からは消えつつあるのかなあ、少なくとも法律的には。
私は今の家を手に入れるにあたって、法的に夫婦の共有にしようと思ったのですが、調べてみると「共有」とは「分有」でしかなくて、「この部屋は誰ので、こっちは誰の」っていうものだったのでやめました。それじゃあかえってぎくしゃくしそうですもん。
ふたりのもの、分けられないもの、っていうのはないんですね。まあそれは確かに近代の法律とは相容れないか。ふーむ。
投稿: まきこ | 2004.07.22 00:05
こんにちは。
共有っていう概念、近代の日本からは消えつつあるのかなあ、少なくとも法律的には。
私は今の家を手に入れるにあたって、法的に夫婦の共有にしようと思ったのですが、調べてみると「共有」とは「分有」でしかなくて、「この部屋は誰ので、こっちは誰の」っていうものだったのでやめました。それじゃあかえってぎくしゃくしそうですもん。
ふたりのもの、分けられないもの、っていうのはないんですね。まあそれは確かに近代の法律とは相容れないか。ふーむ。
投稿: まきこ | 2004.07.22 00:07
こんにちわ。まきこさん。呟き尾形です。
コメントありがとうございます。
まさしく、法律的なイメージとしては共有という概念は、実質消えつつあるように思えます。
特に民法においては、個人の財産の線引きを明確にしないと争いの元になるわけですし、結婚する権限を持つ度同時に、条件がそろえば離婚する権限ももててしまうご時勢です。
ただ、親子の関係だけは法律的に引き裂けないのが救いですけどね。
それはさておき、個人の所有ということが重きにもたれているからこそ、私は共有という意味での共産主義に憧れを感じています。
パブリックドメイン。という用語があります。あれにもあこがれます。
投稿: 呟き尾形 | 2004.07.22 06:53