誰に投票する。ではなく、何に投票するのか?
こんにちわ。呟き尾形です。
さて、本日、選挙についていろいろ考えていました。
あの政党は、スキだけど、政策が気に入らない。
政策は、いいけれど、立候補者が気に入らない。
そんなことが、しばしばあります。
考えてみれば、この政策には賛成だけど、あの政策には反対。
でも、選挙では、政党なり、選挙に立候補した人にしか投票できないのが、とてもとても時代錯誤なんじゃないかと思いました。
たとえば、私は、現在の政府にたいして、景気回復をはじめとした内政面(年金改革のぞく)の多くは賛成なのですが、自衛隊を軍隊とするなどのいわゆる外国に向けた部分がからむ政策の多くは反対です。
いったい、私はどちらを優先させるべきか迷っています。
つまり、「誰か」にしか投票できない選挙は、政策のセット商品であり、いらない政策は排除できない。という不条理が発生します。
また、「誰」に投票するということは、その人の政策ではなく、人柄、人徳、魅力に投票してしまいます。
もし、選挙が民意を示す一つの手段ならば、「誰」に投票する。ということではなく、「何」に投票するか。という意識が必要になるかと思います。
とはいいつつも、それが今の仕組みだから仕方がないんですが、われわれ、主権者は、これから、「誰」に投票する。ということではなく、「何」に投票するのか? とできるようなシステムが出来上がれば。
と考えている次第です。
まぁ、世論調査という実在しない人物でありながら、確実にある国民の声に、法人のような人格を与え、それに国会における投票権を与えるなんていいと思うんですけどね。
いや、一票でいいのです。
それと、反対の一票を投じた、議員の名前を挙げてもらい、なぜ、民意にそむく判断をしたのか、理由を聞きたいだけですから。
と、つらつらとかいてしまいました。
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