全体主義と日本の伝統
さてさて、全体主義。
これは何かといえば、個人は全体を構成する部分であるとし、
個人の活動は、全体の成長、発展のために行わなければなら
ないという思想、または体制のことなんだよね。
まぁ、端的にいうなら、所属する全体のためには、個人の自
由と権利は軽視されるってこと。
まぁ、自由や権利って言葉に敏感な人が聞けば、とんでもな
い思想や考え方だよね。
あ、もちろん、個人の自由や権利を軽視するのを是としてい
るわけじゃなく、事実としてそれがある。ということだよ。
日本人という民族は、民主主義国家日本になってすら、それ
を選んだわけ。
「え? ウソ?」
って思うでしょ。でも、「サービス残業」これは誰のため?
「過労死」これは誰のため?
誰でもない、自分が所属する組織から与えられた責任を行
使するためのデメリットってわけ。
日本人がエコノミックアニマルと揶揄されたのは、日本人
が個人の自由と権利を重んじるはずの、民主主義国家にな
ってすら、個人の自由や権利よりも、
日本という全体の繁栄を選択したってことにある。
個人のアイデンティティーを国家という全体に求めたんだ
よね。
それが、江戸時代は封建社会で、明治から昭和初期が
天皇を中心としたナショナリズムで、いわゆる戦後は経済
大国日本だったというわけ。
時代は違えど、庶民はなぜか、いわゆる「お上」みたい
なものに従うことを常に選んできたわけ。まぁ、それが日
本の伝統ってやつになったわけ。
もちろん、江戸時代に入る前のいわゆる戦国時代だっ
て、自分の使える「お家」に従う意味では全体主義って
ことになる。
日本史は、まず、自分の所属する組織ありきで全てが
原動力になっている。
組織のために生き、そして死んでいく。
そんなわけで、日本人というのは、全体主義的な伝統
を培ってきた民族だ。
ともいえる。
もちろん、民主主義国家で、個人の自由と権利を重ん
じる国家の国民が、個人よりも、国家の利益を重んずる。
普通だったらおかしい考え方だし、本末転等
ともいえそうだけど、いろいろデメリットとメリットがある。
個人を全体を構成する部分とする全体主義。もちろん、
これはデメリット。
日本人がそのデメリットを行使するのは、当然メリット
があるから。
全体が少数の個人を犠牲にして、大多数の個人を守
ってくれるということ。
ひどいと思うでしょ。でも、少数の個人の利益のため
に大多数の犠牲を強いることも是とする個人主義はど
うよ? って話。
まぁ、結局、ほにゃらら主義というそのものには、善も
悪もなくて、要は、そのほにゃらら主義を人がどう扱うか。
ってことだよね。
で、第二次世界大戦時の最悪だった、全体主義もた
しかに事実としてある。
でも、それは、全体主義の一側面でしかない。という
こと。
一側面が最悪だから、全てを否定するのは色眼鏡と
いうもの。
全体主義としての日本に江戸時代、平安時代という
平和な時代もあったし、困ったときはお互い様の精神
や、譲り合いの精神は全体主義のたまものです。
全体主義と一言に行ってもさまざまな側面がある。
つまり、全てのメリット、デメリットを認めたうえで、全体
主義。と述べていたわけだけど、確かに、世間一般に
は全体主義=ナチスドイツをはじめとした、否定的な
固定観念があるんだよね。
まぁ、個人の自由と権利が価値ある時代なら、確か
に全体主義は忌むべき思想、体制だもんね。
全体のために個人は犠牲になる。という側面しか見
ないようにしているんだよね。辞書を調べてもそうなん
だから仕方が無い。
でも、現代日本社会はその伝統が朽ち行きつつも、
その伝統の形式だけが、個人を圧迫するようになって
きたんだよね。
一方的に社会から役割とその責任を押し付けられ、
個人の自由と権利を圧迫する。そして、その社会とい
う全体は個人を守れなくなってしまっている。
社会が悪い。ということをいいたんじゃなくて、そんな
状況になっている。
ということ。
そして、この状況を変えられるのは、社会に所属す
る私たちしかいない。
これ、重要だと思うんだよね。
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