仮面ライダーの哲学性(タイガ)
仮面ライダー龍騎は、なんというか、欲望というものを哲学するのにとても良いモチーフになってくれる。
今回は、仮面ライダー龍騎に登場する、仮面ライダータイガをテーマに扱ってみようと思います。
「多くを助けるため、1つを犠牲にする勇気を持つ者が真の英雄」
尊敬する恩師の言葉を、盲信し、尊敬する恩師を殺害し、新たに得た親友も殺害しようとする。
タイガこと東條 悟が何ゆえに、そこまでさせるのか。
それは、ただ、純粋に誰かに自分のことを認めてもらいたかったから。
自分の大切なものであろうとも、1つは1つ。それを犠牲にしてまで多くのものを助ける勇気を持つ。それが英雄への道であると信じ、大切なものまで、捨て去ろうとする東條。
恩師は、大切なものを簡単に捨て去ろうとする東條を諭す。
しかし、東條と恩師の亀裂を生むだけに過ぎなかった。
そして、東條は、恩師が、家族を守るという目的を持っていたことを知る。
東條にとって、もっとも英雄に近い存在だった恩師が、家族と言う1つの大切な存在を捨てられないことがわかったからだ。
その事実は、東條にとって、恩師が英雄にはなれないことを知ったことになる。
そこで、東條は、恩師を殺害した。しかし、恩師たる香川は東條に伝えたかったのだ。英雄とは、人として、なによりも大切なものを守るために自己犠牲をも覚悟する存在であることを。
東條は、そこを倒錯していた。
東條にとって、価値とは他者より、与えられるものであった。だから、自己犠牲とはすなわち、自分のもっとも大切なものを犠牲する覚悟。そして、自分自身が大切なものを持たないことこそ、英雄であると。
それを北岡(仮面ライダーゾルダ)という、リアリストが「英雄なんてなりたいと思った時に、もう英雄ではないさ。いきなりアウトってわけだ」と一蹴する。
東條は一瞬ひるむが、自分の信念を確認するためにも、大切なものを自ら立たねばならぬと、親友をも殺害することを決心する。
東條の中では大切なものを自らの手で立つことが強さにつながるとかんがえたのだ。そして、その覚悟は実行されるが、実際は殺害していたと思っていたにすぎなかった。
結果は、東條の親友、佐野(仮面ライダー インペラー)の”存在”を奪ったのは、東條の見ていないところで、浅倉(仮面ライダー 王蛇)という、もう一人のリアリストが佐野に止めを刺したのだ。
そして、浅倉は、東條を見下すように言う。
「インペラーをやったのは俺だぜ」
そして、東條は全てを失った。無根拠で自分勝手とも言える信念も、大切なものも。
そして、仮面ライダータイガ、東條 悟は最後の時を迎える。
全てを失った、東條の目の前に子どもを抱いた父親が通り過ぎる。愛息を抱く香川と姿をだぶらせ、「先生・・・」と後を追う。
その時、一方からトラックが突っ込んでくる。東條は、とっさに反応し、父親を突き飛ばしていた・・・。
路上に倒れ込た悟を囲む大勢の人。
助けられた父親の悲痛な叫び。
次第に薄れていく意識の中。
東條は、恩師、香川への問いかけを続けていた。
「先生、次は僕、誰を・・・」。
翌日。捨てられた新聞が路上を舞う。
新聞の見出しには、東條が夢にまで見た文字が踊る。
“親子を救った英雄”と・・・。
そこには、道徳とか、そんな安っぽい自己犠牲じゃなくて、ただ、ただ、純粋に英雄になるという願望を持ち、あがき、あがき続けた上で全てを失ったときにとる無心の行動が心を打つんですよね。
東條 悟。悟という名前の通り、最後に悟ったように思えます。
いえね、悟りというのは、結果じゃなくて状態だと思うんですよね。
最後の最後まで恩師に問いながら、結果的に英雄となる。この状態。
そして、新聞で取り上げられながらも、その新聞が捨てられている。これが
現代社会の無味無臭の悪意無き非情さが見事に現れていて、すごいと思いまし
た。
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