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核保有議論自体がダブルスタンダードである理由

核保有議論自体がダブルスタンダードである理由

◎非核3原則は政策上の判断=法理論上は核保有可能-安倍首相
時事通信 2006/10/31-13:24 より
★★★ここから★★★

 安倍晋三首相は31日昼、中川昭一自民党政調会長が日本の核保有論に繰り返し言及していることについて「非核3原則で核保有を放棄している。政策上どういう判断をしているかが実際の政治行政の場で重要であり、法理論上は既に政府見解で述べている通りだ」と指摘し、核兵器は「必要最小限の自衛のための実力」に含まれるとした政府の憲法解釈を示しながらも、非核3原則を堅持していく方針を改めて示した。 
★★★ここまで★★★
 だそうです。

 さて、法理論上核保有可能ではあるが、政策上は非核三原則において核保有できない。
 という言動がなぜ、矛盾するか説明しましょう。

 まず、そもそも、ダブルスタンダードとはスタンダード(基準)
となるものが複数あるというものです。
 たとえば同じ行為をA君とB君が行ったとしてA君の行為はいい
けどB君の行為はダメだというのがダブルスタンダードにあたりま
す。
 まさに、核兵器保有は、(A君)法理論上はいいけど、(B君)
政策上非核三原則においてダメ。
 ダブルスタンダードであるわけです。

 これが、議論以前の核保有議論自体がダブルスタンダードである理由です。
 議論において、このようなダブルスタンダードを許してしまっては議論が成り立ちません。

 また、日本は民主主義国家であり、法治国家です。
 法律は守るべきではありますが、それは法律違反をしてはいけない
ということであって、法律上禁止されていなければ何をしてもよい
というのでは、法治国家とはいえません。
 そして、民主主義国家とは、なによりも、民意を大切にする国家です。
 非核三原則はこれまで国是とされてきました。
 国是とは、国全体が正しいと認める、一国の政治上の方針ですが、これに反対する民意はなく、むしろ、非核三原則を是とする民意が大多数です。

 仮に、法理論上可能だとしても、国是がそれを許さないなら、議論の要素は一切なくなります。

 また、法理論上可能という事自体、詭弁にすぎません。
 なぜなら、核兵器の保有した時点で、憲法が禁じている、国際紛争の解決の手段としての武力による威圧になるからです。
 最低限の防衛のための武力を保有する権利があったとしても、憲法違反になっていいわけがありません。


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