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朽ち行く伝統 前編(呟き尾形の哲学手記)

こんにちわ。呟き尾形です。

※この記事は、白い時計塔のある村呟き尾形の哲学手記の記事にも掲載されています。

 朽ち行く伝統 前編
 
 骨肉の争いという言葉はありますが、それは、家族が深い情によって結ばれ
ていたからといえるかと思うんだよね。
 しかし、どうも、最近の報道を聞いていると、質が異なってきているのでは
なかろうかと思っているからね。
 家族という特別な関係の中での争いがクローズアップされている。
 世の中に、個人主義。というものがはびこっているなか、それでも集団主義
という伝統が前提となり、集団のためのそれぞれの個人が犠牲が強いられると
いうのが現実なんだよね。

 これまでは、伝統的な価値観で「親たるものこうあるべき」、「子供たる
ものはこうあるべき」という、役割分担による、ものさしがあった。
 あったけど、情報が洪水を起こしている現代において、価値観が多様化しすぎ
て、そのものさしが対応できないんだよね。実際。
 だから、より確実なものさしである「私」というものを根拠にしないとダメになっちゃう。
 となると、たとえ、家族という特殊な関係でつながれてあっても、「私は私、
他人は他人」という感覚が発生しやすくなるってわけ。
 伝統的な価値観による、ものさしは、ものさしとしての効果が期待できな
くなった。つまり、伝統的な価値観の減価償却しきった状態だよね。

 現代日本社会のOSといえる既存の伝統が劣化するあまり、人が担える以上
の負担をかけるようになっちゃた。
 それが、心に余裕が持てない理由と思うんだよね。

 個人主義、集団主義それぞれは長所、短所があるよね。用は見方次第でかわるってこと。
 だけど、現代日本社会という社会はこの両方が混在してるのね。
 それは、報道における様々な社会を震撼させるような事件を引き起こす一つ
の要因となっているんじゃないかな。
 人々が残酷になれるのは、相手を自分と同じ存在であるというリアリティー
がうすれているためって考えられるんだ。
 そう考えると「私は私、他人は他人」という私の責任でなければどうでもいいとい
う感覚が相手を自分と同じ存在であるというリアリティーを薄れさせる原因に
なってるんじゃないかなぁ。

 たとえばね。
 通勤一つとっても、順番を守った守らないで言い争いになり、ぶつかったぶつか
らないで争いになり、学生が我が物顔で喋りまくる。
 それを注意したものならケンカになる。
 じゃぁ、大人はというと、人の迷惑顧みず大きく新聞を広げていたりするし、
何気ない顔して、電車の立つ場所争いに火花を散らしていたりする。
 困っている人を優先するはずのシートの目の前に、対象者が現れても寝た振
りをしたりする。もちろん、込み合いすぎて譲るに譲れないこともあるのも認めるよ。
 若い女性は、痴漢行為の警戒心が強すぎて、どんな理由があろうとも、少し
でも体が接触しようものなら睨みつけたり、嫌がるそぶりを大げさにする。
 ひとたび、電車が止まれば駅員が電車を止めたのごとく怒鳴りだす。
 他人の迷惑顧みず、自分の都合で駆け込み乗車。
 もう、そこには、譲り合いやお互い様の伝統は消えてしまっている。
 もちろん、まったく無い。とは言いませんが、そこにその古きよき伝統がもっ
と伝統的な価値観として力を各自に持たせていればこんなことにはならないはず
だよね。
 伝統的な価値観があれば良いのではなく、効果的に機能しなければ形骸化して
いるにすぎないと思うわけ。
 伝統的な価値観が、減価償却しきったといえるんだよね。

 もし、伝統的な価値観、つまり、譲り合い、お互い様の精神がリアルに人々
の心に浸透しているなら、先日お話した通勤電車のような現実はおこることは、
稀であるはずなのに、それが日常になってる。
 それはなぜか?
 これが目下私、呟き尾形が考えていること。

★★★
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