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人間の最初の老いの兆し

こんにちわ。呟き尾形です。

忘却の早さと、何事も重大視しない情感の浅さこそ、
人間の最初の老いの兆しだ。
 ― 三島 由紀夫 ― (『私の遍歴時代』)

 人が、何かを忘却するとき。
 それは、あまりにも当たり前で印象に残らないことであることが多いといえます。

 それは、何事も重大視しない情感の浅さと関係があるといえます。

 もし、重大視したことなら、忘却することはなかなかありえません。

 何事も重大視しないということは、実は、対象をよくよく観察しない。ということです。
 そして、なにも考えず、当たり前と固定観念で判断してしまうから記憶に残るはずもありません。
 老いるということは、経験の多さゆえ、たくさんの固定観念で判断してしまうことだといえるでしょう。老いというものは、なにも肉体的な衰えに限らないというこことです。
 つまり、何事も当たり前としてしまう、ある種の達観は、精神的な老いだといえます。

 肉体と精神は相関関係にあるといえます。
 つまり、肉体的に老いるということは、精神的にも老いるということにつながります。
 が、精神的な若さを保てば、肉体的な老いも防げるというものです。

 もし、肉体的に老いることを避けたければ、精神的に若くあらんとするべきでしょう。
 精神的な若さとは、何事も重大視する情感の深さであり、日常にあることでも注意深く観察し、発見を見出すことだといえるでしょう。

 
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著作権、著作権といいますが・・・。

 著作権、著作権といいますが・・・。

 こんにちわ。呟き尾形です。

 今回は、開き直りというか、暴言めいたことを記事にします。
 鵜呑みはしないでください。

 さらに、私は、現在ある法律を破るべきとか言うつもりは無く、これから私たちは、著作権とどうかかわり、そして、どのように作り上げていくべきか試行錯誤する中において、呟き尾形なりの私見を述べます。

 まず、著作権、著作権といいますが、これは、神様が定めた法則でもなければ、ましてや、自然の法則ですらありません。
 完全ならざる人間が、社会において、守るべきルールとして法律を検討しながら決めた決め事です。
 さらに、その決め事は、随時、公的機関において検討され、定められたものであり、いつでも変えていく事が可能です。
 ましてや、日本は民主主義国家であり、その主権者は国民にあります。
 ゆえに、為政者を選出するという間接的な方法ではありますが、私たち国民がその法律を作り上げていくということが建前上成立するわけです。

 つまり、現在ある法律は守るべきではあるものの、それに問題があると感じるならば、いくらでも検討の余地もあれば、変えていく手段もあるということです。
 ということで、過激な言い方をすれば、法律は守るべきものではあるものの、法律だから正しいという考え方は論外ですということです。

 で、さらに過激な発言をするならば、著作物というものは、公開された時点で、それは万人のための情報となるということがいえます。
 そして、万人のための情報である著作物は、各自がそれぞれに触れる事で、そこから影響を受けるということは、自明です。
 ある著作物から影響をうけて、自らが、著作物を発信する人がいるのは、むしろ、文化の発展だといえるわけで、すなわち、著作者冥利に尽きると思えるはずです。
 むしろ、自分の表現は自分だけのものであり、それを真似されたりするというのは、あまりにも心の狭いことだと、文化発展という視点からみれば判断せざるを得ないわけです。

 もちろん、100%、真似ることを是とするのではありません。
 しかし、外部の表現を真似ることなしに、他者に伝えうる表現など不可能なのです。
 たとえば、表現の代表である言葉。
 人間は親の言葉を真似ることで、言葉による表現を可能にします。
 さらにいえば、真似のない表現は他人様には伝わりません。
 真似ることを悪としたとき、この現実をどうやって、帳尻合わせるのか?
 というのが大問題です。
 まぁ、暴言と思われるかもしれませんが、個人的には、5割がたパクリじゃなければいいんじゃない。
 というのが、呟き尾形の意見です(笑)


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暴論を正論と正当化する暴論(小泉内閣メールマガジン)

小泉内閣メールマガジン【小泉内閣メールマガジン 第207号】郵政民営化法案の成立を読んだ感想を、小泉内閣に送信した内容です。


-------------
 暴論とは、道理を無視した乱暴な議論や理論です。

 参議院で、一つの法案が通らなかったからといって、法案を通した衆議院を解散するのが道理とはいえません。
 客観的に見れば見るほど、たんなる八つ当たりです。

 そこまでして、郵政民営化の内容に触れない議論をしておいて、道理にかなった正しい議論・主張だった言うほうが暴論というものです。

 つまり、暴論を正論と正当化する暴論であるを言わざるを得ません。

-----------------
 もし、郵政民営化が正論であるというのなら、国会でもっと内容に触れた上に、もっと明確な見積もりの数値とビジョンを国民に示せたはずなのに、結局、主権者に示しませんでした。

 そして、郵政民営化に反対した政治屋さんを政治家としての才覚(資質)がないと称していました。
 が、それは、単純に、結果論をもって、暴論を述べるだけの政治屋さんなのだということです。もし、本当にそのように考えていたのなら、解散する前にそういうべきです。
 まさに、自ら、将来を見通せる才覚の無さを述べているわけです。
 実際、靖国神社の参拝も、想像力と国民に対して配慮しているなら、するはずもありません。
 なぜなら、靖国神社を参拝することは、過去の実績より、中国に在住する日本人を危険にさらしていることにもなりえます。
 そんなことを想像することもできないのであれば、政治屋としての才覚(資質)などあるはずもありません。
 もし、想像することができたとして、それでもやってのけるということは、国民に足して配慮が欠けているを言わざるを得ない。つまり、国民にたいして配慮をしないという、民主主義国家の政治屋として才覚が欠けているわけです。
 結局、どちらにしても、ダメダメなわけです。

 どうも、現在の日本の宰相は、無意味な皮肉とパフォーマンスが上手い口先だけの宰相だと判断せざるを得ないようです。

 まぁ、民主主義国家の主権者としては、そんな現実を享受するという責任を果たさねばならぬ。というあたりが、辛いところです。
 せめて、言論の自由で、この事をblogに書くぐらいしかできないわけですね。

 くわばら、くわばら。
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政治について、意見があるときは、下記のサイトに言うのも一つの手かもしれません。

 
小泉内閣

自由民主党

公明党
民主党

共産党

社民党

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善の効用を意識したとき

こんにちわ。呟き尾形です。

善の効用を意識したとき、それはもはや不善である。
 ― 郭 沫若 ― (『歴史小品』)

 善とは、すなわち、よいことであり、道理にかなったことです。

 効用とは、効き目であり、使い道のことです。

 道理にかなった事は、利己的ではありません。

 善の効用を意識したとき、善を利用しようと意識したことになります。
 それは、道理にかなったと見せかけた、善の利己的な使い方になった。
 ということになり、それは善ならざる行為になります。

 まさに、善にあらず、その意識を否定せず、強くなれば、利己の心がますます強くなり、偽善となり、やがて、善とは正反対の悪になります。

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豊かさとは何でしょうか?

こんにちわ。呟き尾形です。

人生の意義はあなたが人生から逃れることでなく、
何を与えるかなのです。これがわかれば人生は豊かになります。
 ― マーティン・ルーサー・キング ― (牧師)

 そもそも、豊かさとは何でしょうか?

 物が過不足無く、備わっているということでしょうか?
 財産に恵まれている富裕ということでしょうか?
 心にゆとりがある、おおらかな精神のことでしょうか?
 能力的に基準値を上回り、優れている、有能な身体能力のことでしょうか?

 いったい、どれが人生を豊かにするのでしょう?

 それは、各自の条件や状況、価値観によって変動するものの、それでもなお、共通するものがあります。
 それは、他者に与えることができるという余裕があることが豊かであるということです。

 物が豊かであれば、物を与えることで、与えた人の人生を豊かにします。
 財産が豊かであれば、財産を与えることで、与えた人の人生を豊かにします。
 心が豊かであれ、思いやりという優しさを与えることで、与えた人の人生を豊かにします。
 能力的に豊かであれば、困った人を手助けすることで、人生を豊かにします。
 

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気持ちの残像こそ、愛そのもの

こんにちわ。呟き尾形です。

人生は愛すること。
そして、愛されることの喜びそのものです。
愛は「与えること」で、一番良く表現されうるのです。
 ― マザー・テレサ ― (カトリック修道女)

 人は、他者から愛されることが、うれしいと感じるものです。

 だからこそ、人は、他者から愛されたいと求めるものです。

 しかしながら、愛は、お金で買えるものではありません。
 なぜなら、「愛」は手放すことはできないからです。
 もし、手放せるのであれば、手放した瞬間に「愛」ではなくなります。
 となれば、手放せないものを、お金と交換出来るはずもありません。

 すると、愛は表現する他ありません。
 その中でも一番、良く表現されるのが、「与えること」です。
 与えるものは、手放せても、そこには愛する気持ちが残ります。
 その気持ちの残像こそ、愛そのものだといえるでしょう。

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世の中に進歩するものなんてありはしない

こんにちわ。呟き尾形です。

世の中に進歩するものなんてありゃしないよ。
すべてのものは変化するだけさ。
その変化を君たちが「進歩」と呼びたければ呼んだっていい。
 ― 小林 秀雄 ― (批評家)

 変化と進歩は異なります。
 変化とは、そこにあった物事が、依然とは、異なる状態、ないし性質になることです。
 進歩とは、物事が時間の経過に伴ってよくなっていくことです。

 変化は、よくなろうが、わるくなろうが、依然と異なる状態や性質になれば変化です。

 さらに言えば、変化したものを進歩と評価するのは、評価する側の都合によるものにすぎません。

 つまり、進歩するものなんてありはしない。といえるわけです。
 
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孫子の兵法 9 隔岸観火

孫子の兵法 9 隔岸観火

第九計 隔岸観火「岸を隔てて火を観る(きしをへだてて、ひをみる)」

 三国志の時代のお話です。
 「官渡の戦い」という戦で、曹操は袁紹を打ち破り、北中国一帯を支配下に置きました。
 その戦いで、袁紹は命をおとしましたが、袁紹の子の袁尚、袁煕らは北方の異民族烏丸のもとに逃れました。
 そこで曹操は、烏丸討伐に乗り出し、これを撃破。
 敗れた袁尚、袁煕らは遼東の公孫康を頼って落ち延びていきました。
 公孫康は以前から、曹操に服属することを拒んでおり、曹操を共通の敵として手を組もうとしたのです。
 再び、曹操が袁尚、袁煕らの逃れたことを口実に公孫康を攻めると思われましたが、曹操は公孫康を攻めたら、袁尚と手を組んでしまうだろうと考え、逆に兵を引いてしまったのです。
 すると、元々袁尚を恐れていた公孫康は、袁尚曹操の元へ送り届けたのです。

-----

 隔岸観火のポイントは、相手の内紛から自滅を待って、高見の見物をすることです。
 実際、相手に内紛がある時は、不用意にに手を出すと、予想外の火傷をします。
 これは、別に戦争に限った事ではありません。
 夫婦喧嘩や、他人の家族の事情に他人が口を挟めば、大抵、やけどをします。

 対岸の火事は、見物しておくに限る。というわけです。

 隔岸観火は、趁火打劫の逆といえるでしょう。
 どちらが、良策であるかは、状況によって変わってきますので、相手の弱みに付け込んで、漁夫の利をを得るか、高みの見物をするか、冷静に状況を観察し、その結果を分析しつつ、リスクを考慮して、選択すべき策といえるでしょう。
 
 最近では、日本や中国において、自国の国民へのパフォーマンスとして、この計が使われています。
 対立する国内世論を統一にしむけたり、或いは関心を他に逸らす為、強力且つ悪逆な、敵対する他国を作るのです。
 日本は、北朝鮮の悪逆振りをアピールしたり、韓国の竹島問題、中国においては、潜水艦やら海底資源の問題を、解決するそぶりばかり見せて、実質的な解決に手を出さないなどです。
 中国にいたっては、靖国問題において、日本をさかんに批判しますが、批判のみだったり、記憶に新しいかもしれませんが、反日デモにおいても、デモを放置するなどの処置をしています(ちなみに、日本も隔岸観火をつかっていたとおもわれ、面白いくらい日本の世論は、反中国に傾いていたと感じます)。
 つまり、「手を出さない」ということが、一つの効果を産むというのが、この隔岸観火の特徴といえるでしょう。
 ただ、自国の場合は、それをコントロールを失敗すれば、何もしないという無責任というレッテルを自ら貼り付け、面子丸つぶれになります。
 自国へのパフォーマンスとしての隔岸観火は賢明とはいえませんし、自国民に対して不誠実な策だといえます。
 つまり、隔岸観火こそ、反発世論を生み出し、高みの見物のつもりが、自分の家を放火するという愚かしい結果になります。
 つまり、自国へのパフォーマンスとして、隔岸観火を使うのは、むしろ愚策だといえるでしょう。
 なぜなら、本来果たすべき責任を、果たさないということが、マイナスだからです。

 となれば、果たすべき責任が特にない。
 という場合に、隔岸観火が有効だといえますし、家族の問題にしろ、組織の問題にしろ、外部の人間が、むやみに口出しするのは無責任な行為とも言えるわけです。
 ともあれ、ついつい口出ししたくなるのが人の常ですが、隔岸観火は、新たなややこしい争いを生まなくする、それを抑制する策である。
 ともいえます。


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現代人が求める自由

こんにちわ。呟き尾形です。

現代人は自由そのものを求める。
何かをしたいための自由ではなく、何かをしないための自由である。
 ― 福田恆存 ― (『人間・この劇的なるもの』)

 自由には、様々な意味がこめられています。
 他からの強制・拘束・支配などを受けないで、自らの意志や本性に従ってという意味の自由。
 自らを自律的に統御し、内なる必然から自発的に行為するという、哲学的な意味での自由。
 物事が自分の思うままにするという、他者の自由を奪って自分が自由になるという、パラドックスをふくむ意味の自由。

このように、自由という言葉の意味自体が自由になってしるようです。

 さらにいえば、政治的にも、歴史的にも時代によって異なる内容をもちます。
 
 古代ギリシャにおいては、奴隷と区別されたポリス市民固有の属性であり、すぐれたものへの洞察力を意味していました。
 中世ヨーロッパにおいては、身分的特権の別名でした。
 近代のリベラルな自由概念は、一七世紀の宗教戦争以来の意味で、市民革命を経て強化・確立されました。
 こうして、現代において、公式につかわれる、宗教、思想、信条、言論の自由にいたったわけです。
 さらにいえば、権力と対立しこれを制約する自由。
 マルクス主義的には、社会全体が解放され、人格の自律させるための自由。

 と歴史の分だけ、自由の意味が広がっていきます。

 では、現代人が求める自由とは一体何でしょうか?

 上記のような、何かをしたいための自由ではなく、何かをしないための、怠惰な自由であることが多いようです。

 う~ん、残念。
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農業改革の基本的視点(食料・農業・農村基本計画)

農業をめぐる情勢の変化と改革の必要性(食料・農業・農村基本計画)

農業改革の基本的視点(食料・農業・農村基本計画)

こんにちわ。呟き尾形です。

 
 食料・農業・農村基本計画をとおした、改革にあたっての基本的視点というものがあるそうです。

 以下の視点を踏まえ、既存施策の見直しや新たな施策を構築する。
 ●効果的・効率的でわかりやすい政策体系の構築
 ●消費者の視点への施策反映
 ●農業者や地域の主体性と創意工夫の発揮の促進
 ●環境保全を重視した施策の展開
 ●農業・農村における新たな動きを踏まえた「攻めの農政」の展開

 というものです。

 ●効果的・効率的でわかりやすい政策体系の構築
 これについては、
 ・目的を明確化した施策を、適切な対象に集中的に実施する。
 ・国民にわかりやすい政策体系化を構築する。
 ・産業政策と地域振興政策について関係を整理する。
 というポイントが設けられています。
 なるほど、視点としては正しい・・・というより、単純に、確認するまでも無い当たり前の事だともいます。
 つまり、基本的視点以前のポイントになります。
 そもそも、
・目的を明確化した施策を、適切な対象に集中的に実施する。
 というのをあげるということは、これまでの施策は目的が明確化されていなかったのだろうか?
 ということがありますが、一般的に施策は目的は明確なはずです。
 となれば、本当は、施策の結果、すなわち、目標となる効果を明確化すべきなのではないでしょうか?
・国民にわかりやすい政策体系化を構築する。
 とありますが、政策を国民に伝えるということは、そもそも、民主主義国家において、当然の責務ではないでしょうか?
・産業政策と地域振興政策について関係を整理する。
 これも、あまりにも当たり前。というより、既に出来上がっているはずなのです。
 それがこのようにポイントとしてでてくるということは、そのような関係が成立していなかった。
 ということになります。
 となれば、施策を立てる人は、1年ぐらい現場で農業ぐらいしてみろ!
 と、言いたくなります。

●消費者の視点への施策反映
 おそらく、これまでの農政で、もっとも無視されたところで、早急になんとかしなければならない点であるように思えます。
 特に、
 ・消費者の信頼と指示される食料供給の実現。
 ・消費者の立場にたった施策の展開
 というのは、重要です。
 とても適切なポイントですが、これを”どのように”行うかで、大きく効果に差が出てくるように思います。
 それこそ、施策を立てる人は、消費というものをフィールドワークで、的確に現実を把握しないと、農政は失政になるでしょう。
 日本の政策の根本的な間違いは、現場を知らない。という一点に尽きます。

●農業者や地域の主体性と創意工夫の発揮の促進
 このポイントは、大変重要だと考えます。
 農政において、いかに、農業を活性化させるということが、まさに目的であるというでしょう。
 あ~だ、こ~だと現場も知らずに口出しだけするような無能を露呈は避けるべきです。
 つまり、
 ・民間と官僚の役割分担の明確化。
 ・地方と国の役割分担の明確化。

 というのは、はっきり言って、失敗が目に見えています。
 この役割分担を明確化するということのデメリットをしらなすぎます。
 役割分担を明確化すると、必ず、現実に解決すべき事柄なのに、だれも担当ではない。という恐ろしい問題が生じます。
 むしろ、民間にできないこと、しないことを官僚が補う。
 という姿勢ないし体制をとらなければ、農業の停滞は火を見るよりもあきらかです。
 食料・農業・農村基本計画は、農業の発展と活性化が目的のはずです。
 その計画そのものが、停滞を招く内容では、本末転倒というものです。

 で、
 ・農業の現場の自立を促す施策。
 というのは、減反という、現場の自立を妨げる失政をしておいて、ギリギリまで大規模な減反をさせておくという、ことをしておいて、何を寝ぼけている。
 と感じますが、確かに、現場の自立は必要だと思います。
 ということで、現場の自立を促すためにはどんな施策になるのか、興味津々です。

 ・農業者や地域の主体性のある取り組みを重点的に支援する。
 私は、この支援がどのようなものになるのかで、大きく結果は変わると考えています。
 個人的には、株式のように、農業株式という市場が発生させれば、主体性ある取り組みが自然と促されるように思います。


●環境保全を重視した施策の展開
 さてさて、正直、これがどういった施策になるのかは、正直想像がつきません。
 とりあえず、
 ・環境保全を前提とした経済の発展。
 ・農業が環境保全に貢献する、自然循環機能を発揮させる。
 とありますが、現代の農業が、そうしたものを失っているのではないのか?
 という疑問があるからです。

●農業・農村における新たな動きを踏まえた「攻めの農政」の展開
 これは、非常に難しい問題になるであろうと考えます。
 ・農業の現場にある知恵や個性を活かした取り組みの支援や施策
 とありますが、現場をしらない人が、農業の現場の知恵や個性を知りえるのだろうか?
 という疑問があるのです。
 すると、知りえない知恵や個性などに支援などできるはずもなく、当然施策は形骸化せざるを得なくなると推測します。
 さらに、すでにある知恵や個性は、現場にとっては当たり前のことであって、それをアピールするほどのことかどうかなどわかるわけもありません。
 もう、基本的視点の時点で、ダメダメのように感じてなりません。
 ダメダメゆえに、悲観的な内容になりました。

 ちなみに、日本は農業においても最先端の技術があります。
 ともなれば、FAO(国連食糧農業機関)も視野にいれるべきはないでしょうか?
 特に、攻めの農政と銘打って、日本の農作物の輸出という「攻め方」を提案しています。
 つまり、輸出という、国際的な視野を入れておきながら、所詮、国際的な日本食ブームという目先の利益しか目に入らないというのは、おかしな話です。
 農業を改革するうえで、保守的な日本の農業の実体を改革するにあたって、農業は国内だけのもであるという固定観念を打破するためには、FAOと連携をとるなどの考え方も必要になるのではないでしょうか?
 そうした意味で、FAOに触れないというのは、なんとも利己的な計画ではないかとも感じるわけです。
 もっとも、FAOは視野に入れているけれども、それは官僚の仕事で、現場は関係ないなんていうのでしょうかね?

 くわばらくわばら。

 やっぱり、農政にかかわる公務員は3年間ぐらいは、農業の現場を研修すべきだとおもいます。

食料自給率の現状(食料・農業・農村基本計画)



(*´ェ` )(´ェ`*)ネー  (゜◇゜)~ガーン 。(^¬^) ア、ヨダレガ
農林水産賞の 新たな食料・農業・農村基本計画の策定経過

呟き尾形の今の政治に物申す

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クラ(((((◎。◎ゞ)))))クラ)(?_?)(((( ;゚Д゚)))ガクガクブルブル

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世界食糧デー

世界食糧デー

 1945年(昭和20年)の10月16日。国連食糧農業機関(FAO)が設立されたこと
を記念して、1981年(昭和56年)世界共通の日として制定されました。
 これは、1979年の第20回の総会の決議によって、決められたものです。
 この世界食料デーをきっかけとして、世界の人々が、自分自身の生活を見つめ直し、少しでも世界の人々と共に生きる生き方を実践しようとする人が増やされていくことが
「世界食糧デー」の願いです。

 FAOは、世界の一人一人が協力しあい、最も重要な基本的人権である「すべての人に食糧を」を現実のものにし、世界に広がる栄養不良、飢餓、極度の貧困を解決してい
くことを目的としています。

 さて、このFAOとは、世界の人々の栄養水準および生活水準を向上させるとともに、農業の生産性を高め、特に農村に居住する人々の生活事情を改善していくことを目的
としています。

 日本は、日本国際飢餓対策機構によって、国連の諸機関、FAOなどと連携し、草の根市民レベルの「世界食糧デー実行委員会」と各地で協力して、1982年から日本国内での啓発活動を展開しているそうです。

 現在FAOが特に優先して取り組んでいる課題は、
 ・天然資源を保全・管理
 ・持続可能な農業・農村開発および食料増産の長期的な戦略を促進
 ・食料安全保障を達成
 ということが主だった課題のようです。

 つまり、
 ・環境を考慮した開発。
 ・技術的に適切な開発。
 ・経済的にも有効な開発。
 ・社会的に受け入れられる開発
 というものを推進することにより、今後の食料の二一ズに応えていくことがこうした優先課題克服を目的としているそうです。

余談というか、呟き尾形の独り言
 あ、そういえば、農業・農村・食料基本計画の概要では、FAOに関係した記事が見当たらなかったぞ。
 攻めの農政と、国際的な視野を入れておきながら、所詮、国際的な日本食ブームという目先の利益しか目に入らないわけだ。
 農業を改革するうえで、保守的な日本の農業の実体を改革するにあたって、農業は国内だけのもであるという固定観念を打破するためには、FAOと連携をとるなどの考え方も必要になるのではないだろうか?
 そうした意味で、FAOに触れないというのは、なんとも利己的なことか。
 あるいは、FAOは視野に入れているけれども、それは官僚の仕事で、現場は関係ないなんていうなら、なお悪い。

 さて、今回は、呟き尾形の哲学講座は、エピクロスの哲学のまとめです。
 今回は、いつもと一味違った形式です。
 次に、WRPGのプエルギガス年代記にある、サンプルNPCに、アルクィン・ピクトルを追加しました。
 次に、小説に新しいコーナーを追加しました。
 コラボレーション小説という、他のクリエーターの方とコラボレーションによって書かれた小説です。
 今回は、イラストレーターのサトルさんのイラストを基に、私が小説を創作しました。そのイラストはカットは、サトルさんのご好意によって、使わせていただいております。


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