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人間は生きることが全部

こんにちわ。呟き尾形です。

人間は生きることが全部である。死ねば全てなくなる。
 ― 坂口 安吾 ― (小説家)

 私たち人間は、ついつい、死ぬ事を思い煩うことがあります。

 しかし、私たち人間が、生きているかぎり、死は存在してはいません。

 死が存在するやいなや、それは生きている状態ではありません。

 つまり、私たち人間は、もう存在していません。
 まさに、人間は生きていることが全部であるということです。
 死ねばすべてがなくなるといえるわけです。

 そもそも、 死んでいることで苦しんでいる人なんてありえませんし。


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正しい判断力とは・・・2

こんにちわ。呟き尾形です。

正しい判断力の持ち主は、
太陽の持つ輝きはなくとも、星のように不動である。
 ― フェルナン・カバリェーロ ― (スペイン作家 1796-1877)

 過去にすでにだした名言ですが、思うことがあり、別の視点から考えてみました。
正しい判断力とは・・1
http://son.cocolog-nifty.com/tetugaku/2005/05/post_4e99.html
 読み比べるのも一つの楽しみかもしれません。

 正しい判断というもは、案外、ごくごく、あたりまえのことであり、地味なものです。

 たしかに、太陽のごとく、輝かしい英断も正しい判断であることはあります。

 しかし、それ以前に正しい判断の積み重ねをしていれば、英断に迫られることはほとんど無く、地味なものです。

 それは、闇夜でなければ見えぬ星のように、ささやかな光であると同時に、星のように不動であり、誰の道しるべにもなるということです。


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エコサブロー(呟き尾形の創作童話・小説)

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 呟き尾形の創作童話・小説は、私、呟き尾形が創作した童話や小説を掲載するコンテンツです。
 既存の童話や小説や新たにかいたものも気まぐれにアップしていく予定です。

 今回は、エコサブローという短編小説を書きました。
 これは、サトルさんの書いたイラストから、私が短編小説をかいてみるという、一種のコラボレーション作品を作るという企画に結果的になりました(ですので、事前に小説のカットとして利用するこを承諾いただけたはずですが、サトルさんがやっぱり、イラストは削除するように依頼がありました)


 これを読んで楽しんでいただければ幸いですし、感想をいただければなお幸いです(笑)

 

 

----------
エコサブロー


 「お疲れ様。今日は帰るわね」
 私が手早く言うと、周りの研究員は、目を見開いて私を見る。
 そんな同僚の視線など無視して、私は女子更衣室に入り、白衣をロッカーに押し込めると、手早く私服に着替えた。
 緑色のラフなTシャツに、緑色に縦に赤いラインの入ったのヘルメット。
 それに、赤いスカーフを巻いているのだから、20世紀のヒーローのマスクドライダーそのものだと、同僚はからかう。

 だが、20世紀という歴史は、私からすれば、人類にとって暗黒の時代であったし、その中から見出せる唯一の光明こそ、そのマスクドライダーなのだ。
 そして、私は、愛車のエコジロー2000 ウィンドのいる地下の駐車場へむかった。
 エコジロー2000 ウィンド。
 風や太陽光による発電によって走行可能な二輪車である。
 エコジーロー2000は、ウィンドとコロナの2つのタイプがあり、ウィンドは風力を主体とし、コロナは太陽光発電を主体としているタイプである。
 スピードもパワーも単体ではではたかが知れている。
 仮に、20世紀のようなアスファルトで塗り固めるような、粗野な道ならエコジロー2000は、エネルギー不足で、たいして走る事はできない。
 しかし、22世紀の道は、道自体が太陽光や風力によって、電力を供給し、多くの車が走るエネルギーを保管し、助けてており、20世紀の乗り物より、速く、安全で、快適な走行が可能になっている。
 ちなみに、私のエコジロー2000は、市販されているものよりちょっと特殊につくっている。
 それは何か?
 現在開発中のAIを搭載いるのだ。
 まぁ、職権乱用という声もきこえるやもしれないが、そもそもAIは、学習してこそ価値があるものだから、実益を兼ねて、学習をさせているのだ。
 と、上司に説明したら、苦笑いをしながら許可は得られた。
 で、私が彼につけた名前がエコサブロー。
 エコサブローは、通常のバイクならライトにあたるところに、センサーがあり、人間の目のように、キョロキョロさせた。
 そして、私であることを虹彩認証で確認したようだ。
 虹彩認証とは、眼球の前にある薄い筋肉の膜である虹彩の模様を用いて認証を行うもので、指紋のように、個人個人ユニークなものである。
 双子の兄弟でも異なるのだから、個人認証には最適な方法だといえるだろう。
 実際、生後1歳頃から一生変化しないとされるので、ヘタにキーやカード、パスワードによるセキュリティーより、個人認証は確実というわけだ。
「キョウハ、ハヤイオカエリデスネ、ますたー」
「ええ、今日は、いいアイディアが出そうだわ。
 いつものところへ行って頂戴」
「しみゅれーしょんデハソロソロデスネ」
「ええ、正真正銘の天然はいいわよ」
「タノシミデス」
 私は、エコサブローにまたがり、ハンドルを握る。
 エコサブローの基本は自動運転だが、ハンドルの握る力や手からの発汗、熱によって、ドライバーの状態をエコサブローは認識する。
 これらの情報から、ライダーの健康状態とともに、その健康状態から、いわゆる感情を学習していく。
 そして、エコサブローは、ライダーを乗せて走行する事で、走行状態とライダーの情報からドンドン学習していくというAIだということだ。
 私はヘルメットとゴーグルを着用し、エコサブローに出発の合図を送る。
 エコサブローは、上機嫌で私を乗せて、いつものところへ出発する。
 自動運転なので、私は、思考をめぐらせることに集中できた。

 地下駐車場から、外に出ると、強い紫外線が私の体を突き刺す。
 20世紀に排出たフロンガスは、じわりじわりと、オゾンホールを広くし、未だに完全に閉じる事は無い。
 だから、私たちは、外に出るとき、顔や手足など、肌ける部分には、日焼け止めのローションを塗ることは、小さいころからの習慣で、日常茶飯事になっている。
 強い紫外線の降り注ぐ、空には、編隊を組んで雲のように浮かぶ物体がある。
 植物プラントとよばれ、そのプラントにより、少しづつだが、20世紀に環境破壊によって吐き出された、さまざまな廃棄物の有害物質を、強い紫外線を当てつつ、分解する環境改善プラントである。
 いわば、あのプラントは、環境改善プラントというわけだ。
 環境改善プラントといえば聞こえは良いが、20世紀からの負の遺産を処理する、実質的な廃棄物処理プラントだ。
 私が、20世紀を暗黒時代であると評価する根拠の一つである。
 もちろん、私が、20世紀は暗黒時代であると評価しているが、一般的な歴史の見方からすれば、20世紀は、科学と自由が革命的に広がった時代だといえる。
 たしかに、20世紀があったからこそ、22世紀という今があるのは認めざるを得ない。
 だが、その影には、科学の発達と当時の自由の象徴ともいえる、資本主義を根拠とした、私利私欲により、利己的な動機が、様々な環境破壊が正当化された。
 森林破壊。
 地球温暖化。
 オゾン層破壊。
 環境ホルモン。
 ダイオキシン。
 ヒートアイランド現象。
 核廃棄物核兵器。
 戦争。
 テロリズムなどなど。
 人類は、自らの首を自分で絞める愚行を経済発展と豊かさという大義名分によって、罪にもならず、合法的におこなわれていたのだ。

 もちろん、幸いにも、21世紀初頭でその愚かさに気がついた人類は、プラントピース(植物的平和論)をコンセプトに科学技術の発達を一丸となって目指した。

 プラントピース。
 20世紀から21世紀初頭の一般常識的概念において、生物や進化といえば、動物のみが指す言葉だった。
 もちろん、学術的には動物と植物をふくむ存在ではあったが、当時の論文やインターネットの議論の記録に目を通せば、動物のみをさしており、植物はほとんど無視されていた。
 しかし、皮肉にも、20世紀の愚行を態度で抗議を示したのは、植物だった。
 化石燃料を過剰に燃焼させることによって、二酸化炭素が増え続け、(進化説もだが、現在でも地球温暖化の原因が二酸化炭素の増加であるかどうかについての、真偽が議論されているが)地球温暖化が進んだという仮説が有力視されている。
 さらに、オゾン層破壊によって強すぎる紫外線によって、動物たちは環境に適応することはせず、動物は移住によって、進化の道を拒否した。
 しかし、植物は、その地に根ざし、変化した環境に適応した。
 その進化は著しく、なんと環境ホルモンを養分とする植物や、強い紫外線をもって成長する植物まで現れた。
 さらには、放射線まで吸収する植物まで現れた。
 これだけを聞くと、人類にとっていい事尽くめのように聞こえるが、それはいわば、植物の抵抗といえるものだった。

 植物の反乱。
 実際、当時の歴史にはそう記してある。
 人類が環境を破壊した分だけ、それを回復するように、進化した植物が繁栄したのだが、人類の環境破壊があまりにも著しかったために、人類の生活圏を侵略する勢いで進化した植物が増え続けたのだ。
 それは、人類にとってあまりにも皮肉な現実だった。
 その植物を排除すれば、環境破壊が進み、植物を排除しなければ人類の生活圏が侵されたのだから。
 環境破壊が進んだ文明地ほど、植物の反乱は激しく、多くの都市はその都市機能を低下させた。
 と歴史の授業では習わされた。
 そして、歴史の授業というのは、淡々とした事実ないし、その社会の教育に都合よく教えるものである。
 ここからは、歴史の授業ではおそわらないことだが、この植物の反乱を重く見た当時の人類は、意見が大きく二つに分かれたといわれている。
 排除する選択と、人類が環境破壊さえしなければ、共存できるという共生という選択である。
 結果として一つにまとまることなく、人類はそれぞれの信じる道を進む事になった。
 その結果、現代(いま)がある。
 そう、その植物との共存こそが、空に浮かぶ植物プラントだということである。
 人類は、様々な環境破壊をする有害物質を、植物プラントに押し込めたのだ。
 無責任といえば、無責任な話ではあるが、現実を踏まえた解決策というのは、たいてい苦肉の策になるものだし、苦肉の策というものは、客観的にみれば、無責任なものだということだ。
 そして、私は、その無責任な技術開発に加担している。
 ・・・同罪だ・・・。
 弁明しようの無い罪の意識が重苦しく、胸と肩に重りをつけた。
 これから人類はどんな道を歩むのだろう。

「ツキマシタ。ますたー」
 エコサブローの声が私の思考をいったんとめる。
 海岸沿いの道端に停車した。
「ありがとう、エコサブロー」
 私は、ウィンクをして、エコサブローに礼をいう。
 人工的に舗装された道に負けることなく、その下の地面から力強く花を咲かせる植物があった。
 この花は、すでに絶滅したとされた、環境破壊される前の植物だ。
 人類が、半世紀で破壊した自然環境を、1世紀以上の時間をかけて、環境破壊される以前の地球に回復したからこそ、目の当たりに出来る光景だ。
「私たちの選択は間違っていなかったわ。
 人類さえその気になれば、共生は可能なのよね。
 無駄じゃないのよね!」
 私は、目頭が熱くなり、それをごまかすために、青空に浮かぶ、植物プラントを見上げた。

END
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人生を楽しむ秘訣

こんにちわ。呟き尾形です。

人生を楽しむ秘訣は普通にこだわらないこと。
普通と言われる人生を送る人間なんて、一人としていやしない。
いたらお目にかかりたいものだ。
 ― アインシュタイン ― (物理学者)

 様々な人が楽しい。と感じるときには、共通点があります。
 
 それは、その人にとっての日常的なことではなく、むしろ、その人が、非日常的で好ましい事を体験したときです。

 ところで、普通といわれる人生を送る人はいません。
 なぜなら、普通とは、一般的なことであり、めずらしくないことですが、各自の人生は、個々にとって、特別な人生であり、その特別な人生の共通項だけを集めたものが普通の人生と呼ばれるものです。

 そんな、共通項だけの人生を送る人は一人もいません。
 
 なにかしら、その人だけの特別な体験、特別な価値観が必ずあるものです。

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新しい発見とは

こんにちわ。呟き尾形です。

新しい発見は、年とは関係ないよ。
 ― 映画「ロッキー5」 ―

 発見とは、多くは、その人にとって初めて見つけることであり、初体験という、これまでの非日常的な体験を通したものから得られる場合が多いといえます。それは、より印象に強く記憶に残ります。

 ですから、年をかさねるたびに、初体験と触れる機会が減り、発見することが少ないと勘違いしがちですが、実は違います。
 発見というものは、コツさえつかめば、初体験でなくても、日常生活のなかから見つけ出せます。

 たしかに、初体験というこれまでの非日常的な体験は、発見を得やすい事は間違いありません。
 それは、経験を通して、新しい視点にならざるを得ないからです。
 が、日常生活においても、常に様々な立場、視点にたって観察してみると、それは発見することにあふれています。

 昨日とまったく同じ物であっても、昨日と違う視点で見れば新たな発見というものはできます。


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幸福な人の条件

こんにちわ。呟き尾形です。

幸福人とは過去の自分の生涯から満足だけを記憶している人びとであり、
不幸人とはそれの反対を記憶している人々である。
 ― 萩原 朔太郎 ― (『絶望の逃走』)

 幸福とは、特に不満も無く満足できる状態です。
 ですから、自分が幸福であると思える時は、まさに、自分自身が満足していた記憶が、不満だった記憶を上回ったときです。
 そして、その判断ができるのは、誰でもない自分自身です。

 不幸とは、満足することが出来ず、不満な状態です。
 ですから、自分が不幸だと思えるときは、まさに、自分自身が不満である記憶が、満足していた記憶を上回ったときです。
 そして、その判断ができるのは、誰でもない自分自身です。

 この二つのことがらから、自分自身が幸福であるか、不幸であるか決めることができるのは、自分自身以外ありえないということがいえます。

 ですから、幸福な人の条件とは、自分が幸福であると、自分自身で決められる人なのかもしれません。


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芸術に独創はいらない

こんにちわ。呟き尾形です。

芸術に独創はいらない。生命が要る。
 ― ロダン ― (フランス彫刻家)

 独創とは、他人の真似をせず、自分一人の考えで物をつくり出すこと。

 芸術とは、言ってしまえば、さまざまな表現技法を駆使して美を創造・表現しようとする人間活動であるといえます。

 生命とは、生物を、無生物ではなく生物として存在させる根源です。

 一般に、芸術は他人の真似ではなく、独創的であることが求められます。
 しかし、それは、結果論であるといえるでしょう。
 なぜなら、その作品に生命がこもっていれば、独創的だといえるからです。

 作品に、生命がこもればそれは、独創的になるのは当然といえるでしょう。 


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満州事変勃発

満州事変勃発

 1931年(昭和6年)の9月18日、中国・奉天郊外の柳条湖で、満州鉄道の線路が爆破されました。
 この爆破事件は、いわゆる、満州事変(まんしゅうじへん)のきっかけといわれています。
 満州とは、当時の日本が中国東北部を指していう地名だったそうです。

 この事件を境に、中国東北部を占領する関東軍と現地の抗日運動との衝突が激化していったそうです。
 そんな中、この事件は、政治において、日本軍部は発言力を強めていくきっかけとなり、日本政府の発言力が弱まり、日本軍部が政治介入し、やがて、日中戦争への軌道が確定したともいえます。
 さて、この爆破事件、実際には、爆破を行ったのは、関東軍の自作自演であったと言われています。
 これは、後に満洲事変勃発時少佐で関東軍参謀の証言より、確認されているそうです。

 事件の現場の国、中国では「9・18事変」と呼ばれているそうです。

 では、なぜ、自作自演の爆破事件がおこったのでしょうか?

 ここからは、私が、調べた内容から推測したことです。決して鵜呑みせず、この記事を含めて調べてから、各自で判断してください。

 そもそも、その時代のヨーロッパ諸国をはじめとした列強国と呼ばれる国家は、アジア諸国を中心に植民地化することで反映されていたといわれています。
 あいまいな記憶ですが、当時、植民地化されていなかったのは日本と中国ぐらいなものですが、中国はほとんど食い物にされているような状態だといっても過言では無いでしょう。
 すると、ヨーロッパどころかアメリカも日本を狙っていたわけです。
 こんな風に書くと、現代の日本の価値観において、ヨーロッパ諸国を悪く書いていて、日本の正当化をするようですが、当時の政治からすると普通でごく当たり前な手段だったといわれています。
 そんな国際情勢の中、日本としてはただまっていれば、植民地化されるのは火を見るよりもあきらかでした。
 つまり、列強国を名乗るならば植民地をもって当然という考え方がごくごく、当たり前にあった。といえるようです。
 そこで、日本も植民地をもたなければ、いわゆる列強国として国際社会に参入できないという背景もありました。
 なんて野蛮な。
 と、おもわれるかもしれません。
 しかし、現代も、軍事力から経済力に変化しただけであって、本質的には、それほど大きくはかわりません。
 おそらく、現代は、100年後の人から見れば、日本はなんて野蛮な事をしていたのだろうと評価されるでしょう。
 そんなわけで、当時の価値観や政治手法としては、日本も植民地を取得するにいたったわけです。
 さらに、この植民地で日本軍は暴走します。
 その暴走のきっかけが、 自作自演の爆破劇を口実に戦争を進めるようなやり方で、自らの発言
力を高め、政府を無視した侵略が行われた。
 と呟き尾形自身は感じております。

 さて、今回は、呟き尾形の哲学講座の第55回、エピクロス流快楽主義の実践を更新しました。
 次に、呟き尾形の今の政治に物申すに、仙台プロジェクトを追加しました。
 そして、童話に登場人物紹介にエクウスを追加しました。
 
 


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