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感情の抑圧と現代日本社会について(呟き尾形の哲学手記)

こんにちわ。呟き尾形です。

※この記事は、白い時計塔のある村呟き尾形の哲学手記の記事にも掲載されています。

 まず、現代日本社会というのは、感情というものをとことん抑圧が強いられる。
 これについて異論を持つ人は少ない。
 だから、現代日本社会の価値観において、一般的に感情的になる。というと、なんだか悪いイメージがある。
 感情的になって、取り乱す。みたいなイメージでね。
 だけど、それは、現代日本社会が植えつけた、思い込みにすぎない。
 だって、感情というのは、喜怒哀楽のことだから。
 感情的にならない。ということは、喜びも無く、怒りも無く、哀しみもなく、楽しみも無い。
 すっげーつまらん生活になるわけ。つまり、感情的になれるということは、それだけ、喜びもあり、怒りもあり、哀しみもあり、楽しみもあるということ。

 でね、一般的には理性的で在り続けることが感情の制御だと誤解されているけれど、適度に感情的にならないと、むしろ、感情の制御が難しい。
 なぜって、人間は理性的な動物であると同時に感情的な動物であるから。
 だから、感情的になるのは、必然ってわけ。
 常に理性的である人がいったん感情的になると、感情の制御をすることに慣れていないから、ドッドッドウ、ドドウドウ。と感情の洪水が起きる。
 現代日本社会って奴は、常に理性的であることが”強いられる”
 まぁ、日本の歴史をなぞらえると、それが文化だからしゃーない。
 今に始まったことじゃない。
 だけど、日本の文化はそれを補う、感情の開放する制度なり風習がつくられていた。
 例を挙げるなら、祭り。伝統的なお祭りの激しさとエネルギーはすごい。

 とにかく、日本の文化は全体主義で、個人を犠牲にすることが強いられてきた。
 でも、古き良き全体主義の日本文化は、西洋からやってきた個人主義に取って代わられた。
 あ、そうそう、全体主義というと、なんだか20世紀半ばにあった、第二次世界大戦をのドイツのナチス、日本の大日本帝国を彷彿させるけど、全体主義というのは、それだけじゃぁ、ない。
 全体主義の一側面に過ぎないことを断っておくね。

 個人主義は大まかに言えば、自分の責任において行動せよってことだけど、全体主義は、全体の責任において行動せよ。ってこと。
 全体の責任。なんていわれてもピンとこないよね。全体を言い換えれば、「肩書き」ってこと。
 別に、立派な肩書きじゃなくていい。
 家庭においては、妻、夫、長男、お父さん、お母さん。
 学校なら、生徒、学年とクラス、先生、部長、部員、委員、係、班長。ってなレベルにおいての肩書き。
 全体の責任においてというと、たとえば、ほにゃらら高校の生徒の喫煙が発覚しました。ほにゃらら高校は甲子園出場停止。
 個人主義なら、ほにゃらら高校の校則にのっとった処罰を受ければそれでOKなんだよね。
 つまり、個人主義において、悪いことをしたら尻拭いは自分でやんなくちゃいけないし、自分のやりたいことは、自分でやる。
 全体主義において、悪いことをしたら、尻拭いは全体がやんなくちゃいけないし、自分のやりたいことは全体で行うってことになる。

 で、かなり横道にそれたのは、感情の処理って案外、社会に関わっていて、社会の持つ、方針みたいなものが関わってくるってこと。
 この方針が個人主義だったり、全体主義だったりするわけ。
 別に、個人主義だから、全体主義だから、感情の処理が良いとか、悪いとかじゃない。
 問題は、社会の仕組みが、現状に対応しているかしていないか。
 現代日本は確実に対応していない。厳密に言えば対応しようとしているが、恐ろしいほどのスピードで個人の価値観が多様化しているから対応しきれないというのが、たぶん、正しいと思う。
 だから、社会が感情的になることを抑えるだけになってしまっている。そして、意図しないながら、結果的に感情の制御と処理を個人に押し付けている。
 いわゆるストレスって奴だよね。
 もちろん、社会だって必死に対応しようとしている。
 例を挙げるなら、カラオケ、お笑い、テレビ、インターネットなどなど・・・。
 だけど、対応しきれない場合もある。
 例を挙げるなら、虐待、いじめ、殺生(酷くなると殺人)、自殺、ひきこもり、などなど・・・。
 いわゆる倫理ってやつに背くと、ストレスが解消する。もちろん、それを推奨するわけじゃない。
 ”本当”はやっちゃいけない。
 ただ、本当に多様化しすぎて、社会の受け皿が対応しきれない。
 結果的に社会が一方的に社会から責任という圧力をかけておいて、それがストレスとなったときのはけ口がなくなってしまう。
 つまり、結果的に感情の制御と処理を個人に押し付けている。
 冷却する機能を失ったエンジンの熱は、やがてエンジンそのものを暴走させ、やがて破壊するってことだよね。
 オーバーヒート。3アウトチェンジ。

 私、呟き尾形はこの分析において、これを問題だと判断した。
 じゃぁ、どうすればいいかと考えたとき、各自が各自の哲学を持つことが必要なんじゃないかと思っている。
 それについては、まぁ、気が向いたら書くことにしよう。

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