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ゲーム小説

こんにちわ。呟き尾形です。

 いやはや、サイトに新しいコンテンツを追加しようとして企画したゲーム小説、結構大変ですね。

 とりあえず、ここで言う、ゲーム小説とは? といいますと、最近、ゲーム小説という言葉を耳にしますが、どうもテレビゲームを小説化されたもの、つまり、対象となるゲームの設定や世界観、背景、キャラクターを小説化されたもの。と定義されているようです。
 まぁ、これは私の感想ですし、こういった定義は、時代とともに常に変わります。とある、小説を募集では、むしろゲームの小説化は禁止。というのもあるそうで、どうも、編集部いわく、“ゲーム小説”とは「ジャンルは関係なく、とにかく面白すぎる小説のこと」というものもありますが、とりあえず、このコンテンツではこれらゲーム小説とは無関係です。

 むしろ、ゲーム小説を、ゲームブックのような、ストーリーの選択肢のある小説。として定義しています。
 何それ? とおもわれると思います。
 大雑把な言い方をすると、ストーリー分岐型の冒険小説(みたいなもの)です。物語の舞台はさまざまです。
 小説は、なぞらえたストーリがあり、それを読み進みますが、ゲーム小説では、読み手はしばしば選択を迫られます。
「道路は左右に分かれている。右には露店、左には広場がある。あなたはどちらに進むか?」と、このような調子です。
 始めの方は、そんな調子ですが、クライマックスになると、主人公は究極の選択ともいわれるような選択をせまられます。
 人質を盾に、敵に要求された要求を飲むか飲まないか。
 小説ならば登場人物が進む方向を勝手に決めてしまいますが、ゲーム小説では読み手がどちらか好きな方を選べます。
 そして、どちらかを選ぶとその結果がわかるようになっています。
 読者はその主人公になりきって物語を読み進めるわけです。
 同じストーリーでも、選択によって何通りもの物語ができてくる……これがゲーム小説のいいところです。
 つまり、自分で物語を進めていくという、ちょっと変わったオンライン小説を提供しようと言う提案でもあります。

 なんにしても、WRPGの一環として、ゲーム小説を進めて行く予定です。

 ともあれ、企画段階で、シナリオを作成したところです。
 ゲーム小説そのものは、現在作成中です。

 でも、いきなり大作を作ると失敗するので、とりあえず、テスト的なものを書いていますが、これだけでも、結構な文量になっています。
 パターンだけでも30を超えてしまいました。やっと、14パターン書き終えたところ・・・。

 さてさて、どうなることやら(>_<)

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エイプリルフール

 こんにちわ。
 みなさんは、エイプリルフールに
なにか面白いウソをつきましたか?
 ウソ。というと聞こえは悪いです
が、心に余裕を生み出すウソってい
いと思うんですよね。

 さて、今回は、呟き尾形の哲学手
記の全体主義と日本の伝統を追加し
ました。全体主義というと、悪い印
象がありますが、それは全体主義の
一側面です。もちろん、良い側面だ
ってあります。
 日本人は全体主義という伝統をも
っている民族なんじゃないかな。と
いうことを書いております。
 次に、小説を書こう! に投稿小
説を追加しました。
 あとは、呟き尾形の色の心理学の
第21回。配色と食欲についてです。
 また、呟き尾形の体験記に仏式結
婚式とバンダイミュージアムを追加
しました。


http://homepage2.nifty.com/SON/

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全体主義と日本の伝統

 さてさて、全体主義。
 これは何かといえば、個人は全体を構成する部分であるとし、
個人の活動は、全体の成長、発展のために行わなければなら
ないという思想、または体制のことなんだよね。
 まぁ、端的にいうなら、所属する全体のためには、個人の自
由と権利は軽視されるってこと。
 まぁ、自由や権利って言葉に敏感な人が聞けば、とんでもな
い思想や考え方だよね。
 あ、もちろん、個人の自由や権利を軽視するのを是としてい
るわけじゃなく、事実としてそれがある。ということだよ。
 日本人という民族は、民主主義国家日本になってすら、それ
を選んだわけ。
「え? ウソ?」
 って思うでしょ。でも、「サービス残業」これは誰のため?
 「過労死」これは誰のため?
 誰でもない、自分が所属する組織から与えられた責任を行
使するためのデメリットってわけ。
 日本人がエコノミックアニマルと揶揄されたのは、日本人
が個人の自由と権利を重んじるはずの、民主主義国家にな
ってすら、個人の自由や権利よりも、
日本という全体の繁栄を選択したってことにある。
 個人のアイデンティティーを国家という全体に求めたんだ
よね。
 それが、江戸時代は封建社会で、明治から昭和初期が
天皇を中心としたナショナリズムで、いわゆる戦後は経済
大国日本だったというわけ。
 時代は違えど、庶民はなぜか、いわゆる「お上」みたい
なものに従うことを常に選んできたわけ。まぁ、それが日
本の伝統ってやつになったわけ。
 もちろん、江戸時代に入る前のいわゆる戦国時代だっ
て、自分の使える「お家」に従う意味では全体主義って
ことになる。
 日本史は、まず、自分の所属する組織ありきで全てが
原動力になっている。
 組織のために生き、そして死んでいく。
 そんなわけで、日本人というのは、全体主義的な伝統
を培ってきた民族だ。
 ともいえる。
 もちろん、民主主義国家で、個人の自由と権利を重ん
じる国家の国民が、個人よりも、国家の利益を重んずる。
普通だったらおかしい考え方だし、本末転等
ともいえそうだけど、いろいろデメリットとメリットがある。
 個人を全体を構成する部分とする全体主義。もちろん、
これはデメリット。
 日本人がそのデメリットを行使するのは、当然メリット
があるから。
 全体が少数の個人を犠牲にして、大多数の個人を守
ってくれるということ。
 ひどいと思うでしょ。でも、少数の個人の利益のため
に大多数の犠牲を強いることも是とする個人主義はど
うよ? って話。
 まぁ、結局、ほにゃらら主義というそのものには、善も
悪もなくて、要は、そのほにゃらら主義を人がどう扱うか。
ってことだよね。

 で、第二次世界大戦時の最悪だった、全体主義もた
しかに事実としてある。
 でも、それは、全体主義の一側面でしかない。という
こと。
 一側面が最悪だから、全てを否定するのは色眼鏡と
いうもの。
 全体主義としての日本に江戸時代、平安時代という
平和な時代もあったし、困ったときはお互い様の精神
や、譲り合いの精神は全体主義のたまものです。
 全体主義と一言に行ってもさまざまな側面がある。
つまり、全てのメリット、デメリットを認めたうえで、全体
主義。と述べていたわけだけど、確かに、世間一般に
は全体主義=ナチスドイツをはじめとした、否定的な
固定観念があるんだよね。
 まぁ、個人の自由と権利が価値ある時代なら、確か
に全体主義は忌むべき思想、体制だもんね。
 全体のために個人は犠牲になる。という側面しか見
ないようにしているんだよね。辞書を調べてもそうなん
だから仕方が無い。

 でも、現代日本社会はその伝統が朽ち行きつつも、
その伝統の形式だけが、個人を圧迫するようになって
きたんだよね。

 一方的に社会から役割とその責任を押し付けられ、
個人の自由と権利を圧迫する。そして、その社会とい
う全体は個人を守れなくなってしまっている。
 社会が悪い。ということをいいたんじゃなくて、そんな
状況になっている。
 ということ。
 そして、この状況を変えられるのは、社会に所属す
る私たちしかいない。
 これ、重要だと思うんだよね。

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